「Passed Away to Treacheries」
今日のBGM ①
(Feels Like) Heaven
Fiction Factory
drowsinessです。
タイムラインは11月へと移行した。
朝と夕刻は急な寒さが遅い、
周囲にも体調不良を感じる方が増える。
体調を崩すということは、
何かの均一さを整えるための時期である。
何より、体のパーツの不調により、
スピリチュアル的な視点から
俯瞰することもできる。
そこから見える景色。
メッセージを受け取りそびれないように。
そんな僕はdrowsinessの
個人メールアドレスが機能しておらず、
結構前からメールが
受け取れていなかったことに気づく。
何故SPFとDKIM設定を外したのかを
恥じない自分を恥じたい。
復旧出来ていないことへの
関係者への拙い思い、
この度は申し訳ありません。
季節と暦と温度と日々が
華麗にシンコペーションする。
その揺らぎが秋と冬の境を曖昧にし、
よりアブストラクトを実らせる。
場所場所で違う紅葉も
アブストラクトに彩りを推移させる。
自分の好みのアブストラクトは何処へ?
もっと日常に、そして意思や事象へ
アブストラクトが実るのも悪くない。
手に入れたかったTシャツを求めに、
駆け足でタクシーへ乗り込む。
無口な運転手さんとの道中。
結果的にその店舗が
定休日だったことを知ると
一気に車内へ笑いを実らせた。
Symphony, Just the Last
妻に鍵を届けて、
帰りのタクシーの道中。
僕のルーティンを運転手さんへ話すと、
頭が可笑しいと言われる。
前から他の方や妻からも
頭が可笑しいと言われている。
もう自分が秀でているか 、
劣っているか、
異軸かを考えることが、
非生産的な感情を齎してしまう。
その齎しは無駄でしかない。
この車体と嫌でも
向き合わなければいけないのだ。
非生産的な感情を燃料に
非日常を燈さねばならない。
つまり、短略的に述べるとし、
可笑しいことは
比較的答に近しいのかもしれない。
不器用すらも
燃やし尽くしたい筈なのに。
コンビニへ立ち寄る。
ルーティンを経る際に於いて、
欠かせない儀礼。
列に並ぶと、廃棄物を片付けるスタッフさんが、
僕を見て、レジ対応しようと足先を向けた矢先、
その好意を丁重にお断りした。
レジ内に居る別の店員さんが即座に対応し、
横切るそのスタッフさんと互いに会釈を交わす。
今日の朝の始まりも然程悪くない。
今日のBGM②
Different State of Mind
Kid Bloom
「drowsinessがチームだから
何かとオファーし難い」
それはそうだ。それがチームだからだ。
上長や代表の決裁や稟議を
通さねばならない。
其れを考えたら、
組織体へ移行することとは、
こういうことだ。
オファーを受けるかの可否は直感だ。
「実績のある〜さんと
ライブやらせてあげます」とか
「〜に出させてあげます」
仮に頂ける出演料が1BTCでも出ない。
勿論僕を利用して何かを
せしめるなどもってのほか。
何故一番価値を生む我々アーティストであり
創造主が搾取されなけばならないのだろうか。
そして「裏方」という呼び名や概念も。
醜き音楽業界という極端に狭い一般常識から
逸脱している通常式を推奨するなど、
愚の骨頂なのだ。
そして、一番アーティストが
苦労している時に手を差し伸べず、
ある程度形になってから
手を付ける大人は、ほぼ信用しない。
大概音楽業界以外もコレだが、
特に芸の世界でのコレでしかない。
会社を辞めて、こういう大人は
信用しないことにしている。
媚を売るなら、
他所のフリーマーケットで
商売してくれ。
それなら極端な仮説を立てる。
僕の怠惰を理解して頂いたうえで、
仮にそれが学生さんや
若年層だったと仮定し、
「お仕事でやられているのはわかりますが、
今回はお金が出せません。
でも今後〜ということをしたくて、
〜ができるのですが、
drowsinessに出てほしいです」
これは間違いなく出演する。
それが弊チーム、そしてdrowsinessである。
(勿論此方も生活が或るし
ボランティアでは無いので、
最低限の諸経費と黒字を出す利幅は
貰わねば困るのだが、、笑)
弊チームは既存の概念を
作ることを考えておらず、
紛らわしい邪念を全て振り払い、
全てdrowsinessのアイディアを
愚直に表現するために、
チームが其れを最大化させる
比較的、永久機関のような仕組み。
未だ見ぬ概念は、歴史を踏襲した土台を
改変することで生まれる。
だから、今此処に居る。
そして、僕よりも才能があり、力もあり、
お金もあり志のある方々が沢山居た。
でも、気づけばもう殆ど居なかった。
一切レーベルも事務所にも掠ったことのない
アーティストが14年も
活動するなんて珍しいだろう。
しかも好き勝手にやっていてだ。
その1つの概念がdrowsinessだ。
今日のBGM③
The past and now -LEASE-
阿保剛
drowsinessだって、
活動休止前の学生時代は
あのライブはこのライブに出るには、
本当に多くの箱や
オーガナイザー、
レーベルへメールした。
今は無き六本木SuperDeluxeで
ライブ出来たのは、
この箱に10数回以上お問い合わせへメールして
出演することが出来たのだ。
その時にメールして出れなかったのが、
偶然にも鈴木昭男さんがゲストのイベント。
全く意図せず、HEADZから出ていた
SJQのマネージャーAさんにメールし、
出ることになったのが、
僕の音楽史で避けて通れない、
鈴木昭男さんの唯一のお弟子さんである
山崎昭典さんの歴史的大名盤
「海のエチュード」のレコ初イベント。
そこで山崎さんに褒められたことが
今の全てだ。
あれが大学4年生だったのだ。
もうその頃に今大きく影響を
受けている方々に出会ったり、
遠巻きにご連絡頂いたりしていたり
知っていただいていたのだ。
それがあって、今のご縁に全て繋がっており、
その縁が財産でしかない。
僕は来年以降の計画を見て、北叟笑む。
まだ生きていると。
そ して未だ音楽がやれていると。
全てのありとあらゆる事象への感謝が
具像を成すとしか思っていない。
諦めないこと。
自らの愉しみと直感に敏感に居続けること。
そして僕は獣道を越え、
未踏の世界を進んでいるのだ。
今日のBGM④
2010 Toyota Corolla
2003 Toyota Corolla
ロータスに体を浸すことが増えた。
今年を振り返り、来年へと目を送る。
瞬く日々であることが確約されたことが、
自身の日々に誰かが何かを
灯し齎していることだと回想する。
僕はあと何回、心からの幸せを想い 、
分かち合い、喜べるのだろうか。
そして、何時まで
大好きな何かで心が満たされ、
余韻に浸れるのだろうか。
煙で蒸されるあの時を密かに懐う。
来るあの時に向け、重奏な香りを纏う。
纏い切るまでは、
まだロータスへ浸りたいのだ。