「Music Clues All Around Me」
気付けば、
今年がもう3日の猶予も無い。
朝から窓辺で大振りな霙を
横目に気泡を取り込む。
今年ほど年末年始の実感が
無い人生も無い。
何かが静まり、始まる意識無く、
Seamlessに時間軸が
続いている意識が強い。
しかし周囲の時間軸は
清とした静けさを纏う。
そこで年末年始を
大いに感じるのだ。
今からリペアに出した
お気に入りのスラックスを
取りに行かねばならない。
比較的駆け足でこのBlogを認める。
昨日はLOVE FMへ出演した。
聴いて下さった方々、
LOVE FMの皆さま、
そしてSachさん
本当に有難うございました。
1年4ヶ月振りの出演だったが、
いい意味でSachさんと
お茶しながら話している心地であった。
番組では色々と話したいこともあったが、
このBlogを読んでくださっている方は
その旨を予習済みだろう。
これが今年の音楽の仕事納めである。
来年はまた面白さを富むので、
心待ちにしている。
LOVE FMの皆様に申し訳無いくらいの
力不足であるので、
来年からのニュースを
どう受け止めて頂くのかも気になる。
スタジオへ足を運んだときに、
最近ストレイテナーのホリエさんが
出演していたことを思い出す。
勿論ストレイテナーは大好きであるので、
ふと回想へ耽っていたのだ。
時間軸は中学3年生へ推移する。
中学校の頃のdrowsinessは
野球に勤しんでいたが、
何時までもレギュラーが
取れない下手さだった。
しかし、小学校後半から
読書に勤しむようになり、
戦前のプロ野球史や
日本シリーズの考察本を
中央図書館で読んでいた。
比較的よく分からないものも
読んでいたと思う。
伝記も読んでいた。
小学校時代、友達だと思う人が誰か解らず、
学校なんて行きたくないと思いながら、
もう内々な思いを秘めていて、
村上春樹さんの海辺のカフカを読んで、
カフカ少年を羨ましく感じていた。
この頃から捻くれ出していて、
理論や知識武装こそ美学という
概念素案を浮かべる。
ここからもう義務教育は
まともにやらなくていいと察した。
社会科以外はこんな勉強は
役に立たないと思ったし、
偏差値基準で判断されない
価値観があることを察した。
中学校に入ると周囲が
アジアンカンフージェネレーションや
エルレガーデンを聴いていたので、
僕も見様見真似で中古で
リライトのシングルを購入した。
僕は音楽に触れるのが非常に遅かった。
(一番最初に購入したCDはSMAPの
「友だちへ 〜Say What You Will〜」である)
何せ小学校時代から
物凄いイジメを受けていて、
超絶マイノリティだった僕が 、
自分を守るためにイジメグループが
やっていた野球をやり、
そのスクールカースト上位な彼らが
音楽を聴いていたので、
僕も音楽でお仲間にあやかろうとしたのだ。
音楽が全てを変えてしまった。
実家は家庭崩壊の一途を辿り、
食事を祖母に用意して
貰うようになっていたが、
父は家に帰ってこない日が多かったものの、
毎月MDプレイヤーを買えるくらいの
結構な金額のお小遣いを渡してくれていた。
そのお金で音楽を浴びるように聴いていた。
そこからROCK’IN JAPANの
新品と中古を買い漁り、
机の中には雑誌しか入っておらず、
持ち物検査をする美化係にも関わらず、
僕そのものが雑誌やCDを
学年に蔓延させる役割に成り始めた。
そこから八王子市役所近くの
レンタルビデオショップに通いまくり、
所謂オリコンチャートベスト20の
シングルを全て借りて、
買ってもらったばかりの
PanasonicのSDカード対応コンポで
ヒットチャートをハックしていた。
同時に中古CDも借りていたので、
ここで雑誌をサマライズして、
AIR JAM世代一式、
Corneliusや小沢健二さん、
椎名林檎さんワークス、
フリッパーズ・ギター、
NUMBER GIRLやくるり、
サニーデイ・サービス、
スーパーカー等に触れていた。
勿論ピチカート・ファイブも。
そして、極めつけは
リフォームした祖母の部屋で見る
深夜のM-ON!である。
当時、ジョージ・ウィリアムズさんの
GGTVが夜に放送されていて、
そこで紹介されたリクエスト楽曲を探して聴いた。
ここがキッカケで銀杏BOYZや
カーペンターズやクラッシュ、JAM、
ジェリーフィッシュ等へ触れていく。
そこから僕もリクエストする側の
人間になっていくのだ。
(その3年後にそのジョージ・ウィリアムズさんと
その番組で、かつその番組で
見ていたthe telephonesの皆様と
共演することになることを
drowsiness少年は知らない)
そんな音楽入り浸り
野球少年であったdrowsinessは、
購入したCDの貸し借りを 通して
音楽の友達が増えた。
そこである同級生との仲が深まる。
卒業が近づくごとに増えるやり取りは、
スクールカーストを越えた
やり取りを経ていく。
それと同時に僕をイジメたり、
差別していた人たちも、
段々僕の机の周りに集まって、
音楽を聴いたり、雑誌を読むようになった。
音楽が僕を一人にしなかったのだ。
野球部の引退を経て、
より音楽を経ていくことになる。
季節は冬を迎える。
推薦入試を終えた子たちは
意気揚々と羽を伸ばし、
都立受験組は
併願受験というお守りを決めつつ、
受験への準備を進めていた。
その同級生とチャットモンチーの
1stアルバム周辺のやりとりをしていたとき、
彼女から貸してもらったのが、
ストレイテナーの
「The Nobemberist」だった。
ストレイテナーの音像が洋楽のようで、
スタイリッシュで
エモーショナルな楽曲に心を時めかせた。
ストレイテナーやチャットモンチーが
刺さって聴く同級生が
彼女と僕しか居なかった気がしていて、
まるで二人で文通を交わしている気がしていた。
「お母さんが借りたいCDを
貸してくれたから」
バレンタインデーの日に
チョコレートを貰った。
僕の中学校でバレンタインデーに
チョコを貰うのは、
スクールカースト上位の
人同志のやり取りで、
そうでない僕が貰えると思っていなかった。
やり取りが自然と濃くなっていき、
野球部のメンバーも髪を伸ばし始め、
卒業の日を迎える。
僕は高校でも野球をやろうと思い、
当時野球の強豪校であった
都立日野高校へ進学が決まっていた。
(中学校の頃からハマっていた
木村カエラさんの追っかけがしたくて、
体験入部で野球辞めたのが、
運命の分かれ道だった。)
卒業式でWEST 8 UNDER CHINESE(
間違えている気がする。
大谷くんごめんなさい!) が
体育館のステージで
アジアンカンフージェネレーションと
エルレガーデンのコピーを
披露して湧き上がる。
生徒会長でもあり、
地元で指折りの進学校へ行く
WEST 8 UNDER CHINESEの
花形ボーカル大谷くんが
僕をカーストを越えた向こう側へ
連れて行ってくれて、
その時皆んなが聴いていた
エルレガーデンを予習して、
あの幕張メッセのライブへ
行ったときの衝撃が
忘れられなかった。
あのときの金星を今も忘れない。
そして、今も分からないあるバンドの
カセットを貰ったことも、
誰にも解らなった僕らだけの秘密だった。
そして大谷くんもステージで瞬いていた。
遅ればせながら、
僕も音楽をやろうと薄っすら思った。
最終的に音楽で同級生の友達が出来た。
卒業式を終えて、校庭で別れを惜しむ。
想いを伝える人もいれば、
ただ淋しきを一滴へ揺蕩わせる人も。
僕らの制服はブレザーだったのだが、
好きな男子のブレザーのボタンの取り合い、
いやブレザーそのものの
取り合いが起きている最中。
僕が帰ろうとするとすると、
その彼女から僕のボタンが欲しいと言われて、
僕は素直にボタンを渡した。
進学校に進学した君と
連絡を取ることはなかったが、
ある時君に連絡をすると、
新潟に居ることを思い出す。
今何処に居るのだろうか。
君と話したら、
音楽の話が止まらないだろうな。
そして、僕が音楽を
やっていることにも
驚くかもしれない….
人生の面白さは滑らかに富み続ける。
全ては自分が好きで居続ける音楽が在るから。
そして、読者で居てくれる貴方がある。
だから、僕は答えが解らない歩みを
止められないのだ。