「Unforgettable Aesthetics」
drowsinessです。
地震や猛暑、台風、伝染病が
各所で悪戯をするなか、
如何お過ごしだろうか。
くれぐれも身の安全を願うとともに、
体調を崩しやすいタイムラインが続くため、
肩に力が入らない程度に、
様々な楽しみ方を選びきれない、
お盆休みという等しい暇を
満喫して頂きたい。
今日のBGM①
加藤和彦 - American Bar
drowsinessは特にお盆休みは存在せず、
何時も通りの生活を(しかのここし)
たんたんと続けている。
(世捨て人が何を抜かとると思う
読者は以下を参照)
その最中でも、
この拙い電子日記を読んで頂けたり、
日に日に増える
Instagramのストーリーの読者に、
画面越しから感謝申し上げます。
何時も本当に有難うございます。
僕の支えの一部が其処にあるし、
良くも悪くも「晒す」ことに
前向きになれる。
其れに「ある限定や制約」を
設けることも相まって。
唯、明日がどうなるか
誰にも分からなくなる中、
コロナウイルスの猛威を潜り抜けた
パンデミック前に近い今の日常が、
僕は何時までも続くと考えていない。
何かしらの変化と向き合わなければ
ならないのではないだろうか。
今が一番若く意識と体が
明朗かつ活発に
指先まで酸素も意識も
血液も行き届く。
そう考えると、
何と無く過ごして良い
日常なんて存在しない。
今この日記を書く自分や、
其れを見る読者の日常が、
黄泉の世界の最中の可能性だって
有りうるのだ。
と言いつつ、夕方前に
寝室にて瞑想を行ったのち、
久しぶりに浮遊感を感じ揺蕩い、
1時間の暇を得た。
日の入りが遅い
夏空も既に純化した
灰墨の空へと移行。
最近また没入気味の
アイスティーを飲みながら、
夜ふかしへと身を置く。
さて、今日は何を話そうか。
今日のBGM②
泰葉 - 水色のワンピース
「drowsinessの最近」
ここ一週間に大きな変動は無くも、
国内外の方々とのやり取りが相次いで、
幾つかの国外の方の来日に沿って、
幾つかの手立てを考えている。
既に来年中頃の話題に向けての計画、
其処に付随するご提案やご相談もあり、
チームdrowsinessの皆様と
相談しながら進めている。
また、インスタライブの環境改善も完了。
普段あまり話せなかった方と一人でも
多くお話し出来るのは本当に嬉しいし、
飲みのお誘いや近況報告、
中にはdrowsinessへのコラボの相談や
寄付までご提案頂けるなんて、
どんなに嬉しいことか。
書ききれず、書き起こせず、
書き乗り移れないほどに
筆圧を最大限に連ねる程に
感謝を申し上げたい。
また、余談ではあるが、
インスタライブ中に
「弾き語りをしてほしい」と
drowsiness初心者の方が、
コメントして頂くが、
僕はシンガーソングライターでは無いし、
歌唱を前提としたアーティストでは無く、
「ギタリスト」であるため、
今後はご要望は一切控えて頂きたい。
この話題は弊チームの懸案事項に
挙がりつつあるからだ
(もし弾き語りを観たいのならば、
他のもっと良い専門の方を探したり
されることを心から推奨する。
例えば、Nobody’s Islandさんとか、、)
P.S
最近の爽さんからのメッセージ、
素直に嬉しかったです:)
お会い出来るあの日を
心から楽しみにしています!
イベントやリリースは事柄としては、
終わるのは一瞬だが、
細部まで考えた我が子の想いを連ね
行き届かせた企画が、
drowsinessの新旧のファン、
新たにdrowsinessを知る方々を
瞬かせることを考え、
現場、事後で酸いも甘いも
感じられることが、
どれだけ嬉しいことか。
其れが通わせられたのが
直近の練馬シリーズである。
勿論反省点も素直に受け止め、
以後其れが無いようにもする。
全てに於いて、
実地検証も含んでいる。
それを更新する
新たな非日常を作るために、
過去現在未来で興味を育む要素を
感じなればいけない。
今まで興味を示さなかった
音楽、方学、美学、価値観、事象等を
素直に感受出来るように、
自らを素直に
手立てしなければならない。
真面目と素直を保つことが
一番の創造なのかもしれない。
ちゃんとdrowsinessは
動いていることを伝えたいだけ。
合法的なブッ飛びを齎すことを固く誓う。
それがdrowsinessの良さだと思う。
その言い訳を微睡み
書き連ねるしか出来ない。
そして、僕が一番楽しいと思えることが、
誰かの楽しみの共有や非日常の育みへ
繋げられることが、素直に楽しい。
だから、音楽は止められない。
そして、前向きに慣習に逆らい、
多くは歴史に敬意を示し、
創造していくことが
楽しくて仕方が無い。
そして、drowsinessは
たった今が一番楽しい。
そう感じさせて頂ける
多大に満ちた環境を造っているのが、
此れを読む貴方だ。
今日のBGM③
加藤和彦 - Just A Symphony
drowsinessの最近
今一番親近感を感じる方は加藤和彦さんだ。
加藤さんのファンになったのは
ここ最近の話なのだが、
音楽と食とファッションを同列とした美学を
途轍もない純度で昇華しているのは、
この方だろう。
こんな方はもう
今後現れないとも思う。
少なからず、加藤さんと同じ純度の
美学は営みきれないが、
僕にも端々の01レベルの細胞の隅程度に
同じ方向に興味を持つ。
其れ故にシンパシーを
感じることが非常に多く、
時間さえあれば、現存する
インタビューや文献を探している。
ある日、新宿から
成田エクスプレスに乗る際に、
車窓に目線を重ね、
最近再生回数が増えた
加藤和彦さんを聴き浸っていた。
乗降客数の少ない車内、
渋谷を過ぎた頃、人知れず涙した。
以下が即座に脳内を循環する。
加藤さんはどれだけの事柄に想いを乗せ、
何を考えたのだろう。
黄泉へ揺蕩う際に何を考えたのだろう。
今の時代に何を思うのだろう。
あのとき、何を考えていたのだろう。
最後のライブ、なぜあそこまで
悲壮感を微睡わせながらも、
スッと笑顔を振り絞れたのか。
何を考えたのだろう。
黄泉へ揺蕩う際に何を考えたのだろう。
今の時代に何を思うのだろう。
あのとき、何を考えていたのだろう。
最後のライブ、なぜあそこまで
悲壮感を微睡わせながらも、
スッと笑顔を振り絞れたのか。
僕は思い付いた全てが一気に細部を巡った。
涙が止まらなかった。
前後の席に家族連れが楽しそうに
旅行や旅先に想いを馳せ高鳴るなか、
僕はひたすら嗚咽が止まらず、同時に吐き気を感じ、
10年前のパニック障害 のような
症状が現れた。
「表現に向き合わなければ、
もっと豊かな幸せを踏みしめていた」
「表現に向き合うことが、
身と心を朽ち果てさせ、
黄泉の門へ近づいていく主たる要素」
以前のような視界が
眩むことは無かったが、
冷や汗は止まらない。
恐らく、何かと憑依し、
受信してしまったのだろう。
※特定の宗教信者でも思想家ではないが、
時折感覚で受信と交信を行える時があり、
その時々の身の回りの変化から推測し、
正誤を判断することもある。
幸い、成田空港へ早く到着したため、
恐らく人気が無いと推察される
ナインアワーズへショートステイし、
普段行う瞑想を行うこととした。
幸いナインアワーズは人気が無く、
ゆっくりと脈と呼吸を抑えることが出来た。
カプセルホテルで瞑想を行う人間も
希有に違いない。
そして、ナインアワーズの
カプセルホテルの部屋を、
サイバーパンクな棺の体験会だと思える
ユーモアを含んだ
日頃のニュートラルな思考へ戻り、
ボデイソープやシャンプーが
SHIGETAの良い香りだったことで、
より平常を取り戻せた。
正直、身の回りの方々で
加藤和彦さんの話題が
出来る方は少ないからこそ、
其れが出来たことの喜びは
何事にも代えがたい。
これも今なら正直に書ける。
創作活動は孤独と黄泉との
交信の過程における
美学の現れだと思う。
此処を通わせられず、
表層的かつ悪い意味での
軽弾みな「ファッション」を
なぞることしか選べない、
いや選ぶことに理由を含ませない
そういう属性の人々に気を使うのも、
話すのも嫌になった。
思い遣りも博愛も歴史も学ばない環境に
時間に身を置くのも同じくだ。
逆に誰かを出し抜き罵り
自己を保つ属性との決別然り。
其れが僕は向き合えない、
通わせられかったら、
全てが満ち過ぎた楽園である
東京から離れるしか選択肢がなかった。
この楽園に居続けたら、
満たされることに慣れが生じ、
今の生活は後もなく消え去り、
この人生の責務が
全う出来なくなると悟った。
今は誰かと話しているが、
基本的な感受が
人ではない空気や
自然のざわめきとの交信、
本を読むことや、
旅先での道中での突然の交信が
主体になってきてしまっている。
ゴール(黄泉を迎えることでは
断固として無い)が
少しずつ近づくにつれて、
終わり(上記と同じく)を迎えられるから、
新しい何かを迎えられる。
今更、drowsinessが変人だとか
どうとか思われようが、
もうどうでも良いし、
今更全ての方々に
受け入れられるとも思っていないし、
ただ心に素直に向き合い、
そして居続けるしか選択肢はない。
この拙さを何かで表現するしか
生きる道がない
不器用な人間なのだと
根底から理解した。
作品のタイムラインを好む
大沢伸一さんが、
ある時、自分には友達がいない。
孤独だという旨を
SNSに連ねていて
有名人なのにそれは可笑しい
という話を聞いた。
僕は即座に共感し、
良い作品へ付き合う方は
常に孤独なのだと
非常に親近感を感じた。
友達は所謂一般的に
定義出来るものではないと
過程することも容易に想像出来る。
僕もそういった側面を元に
黄泉を共有できる友達は
妻と数名くらいと思いきや、
意外に多いし、歳を経てから増えている珍事。
相変わらず珍事を折り込み続ける
異質な紡奏士になっているな。
このブログもより格好つけて背伸びして
表層的に綺羅びやかで意識高らかな
アーティストライフを
書き連ねたいのではない。
そんな摩耗も消耗も
自傷行為をする事など
誰がするものか。
レーベルから作品を出し、
レーベルからポイの
人生のピークになり、
自分が伝えたいことを
誰かに邪魔されたり
誤解されたくないし、
今はこの文字を認める表現しか
自らにないから、
行っているだけである。
もう余計な脱線をし、
僕の中で光り続ける加藤さんを
余談で汚したくない。
純粋に加藤さんさんの背中を
追うほどに好きだ。
今、そして目を開いた
タイムライン以後も、
その価値観や美学の更新を
純粋な変化として、
素直に楽しみたい。
個人としても、「ある事」を
結構直近に控えている。
今の当たり前や日常、
何かを変えることに抵抗は一切なく、
前述した手放すことによる
新たな育みに備える形だ。
これから本当に
ごく一部の方だけに伝えるか、
伝えないかもしれない。
そうやって、唯一無二の弧を
素直に描けるときが
来るのかもしれない。
僕は目に見えて判っている先と
不確かな先の2極(偶然と必然)を
楽しみ続けていくのだろう。
常に慣れと安心を疑い、
音や美学へ昇華し続けねば、
僕が今、此処に生きる意味が無い。
だから人生が楽しくて仕方が無いのだ。
今日のBGM④
Tennis - Need Your Love
drowsinessの好きなモノ
加藤和彦さんの文脈で、
僕がファッションを好むことを触れた。
幾つかのキーパーソンがおり、
その中でも
スタイリストの祐真朋樹さんには
特に感化された。
何時も早い感度をスタイルに取り入れつつ、
トラッドを前提に組み込むカッコ良さは
誰にも真似出来ない。
高校生の頃からVOGUEや装苑を読み、
アソビシステムが当時主催していた
ファッションショーイベントMOCにも
参加していた自分も、
実はシューフィッターを通して、
美術大学へ進むと同時に、
当時の東京コレクションに参加していた
デザイナーズブランドに感化された。
特にMon tsukiやDRESS33、
誰よりも早くジャーマントレーナーも
デッドストックで何足も格安に仕入れていた。
ジャーマントレーナーなんて、
今は当時の5倍。状態は然程良くない。
当時のdrowsinessの衣装にも
必ずジャーマントレーナーを取り入れ、
捨ててしまったことを後悔した
非常に珍しい黒も持っていた。
体も当時は鉛筆のように小柄だったので、
学生らしくTシャツはAmerican Apparel、
シャツは+J、ジーンズはレディースジーンズ、
ベルトもレディースだ。
その中で祐真さんより先に感化されたのが、
当時J.CREWのクリエイティブディレクターだった
ジェナライオンズさんだ。
僕が今で言うジェンダーレスで
ドレスな世界観を学生時代から好むのは
ジェナさんの影響だ。
参考までに以下をご覧頂きたい。
まずジェナさんのスタイリング全てに於いて
ドレスカジュアルが徹底され、
デニムというカジュアルなアイテムですら、
ラグジュアリーに魅了される世界観が素敵過ぎる。
また時に胸元をかなり大きく開けつつも、
それでも気品さを保ち下品さを
微塵も感じさせないのも素晴らしい。
ジャケットをシャツのように着たり、
素材や色味も華やかなのに、
素直にカッコいいと思わせる装い
そのものに感化された。
一番影響を受けたのは、
彼女のアイコンとなっている大振りな眼鏡。
僕はジェナさんのこの眼鏡を見て、
ウェリントンをかけるようになったし、
眼鏡の引力に引き込まれていったのだ。
久しぶりにジェナさんの
Instagramを見ると
変わらずお洒落や美学が溢れていて、
とても心が黄昏てしまった。
次のdrowsinessの
衣装のことを考えなければ。
基礎的な美学と哲学と成る。
誰でも心は13歳の儘だ。
今日のBGM⑤
pupa - Tameiki
drowsinessの業務報告
LEAF&BOTANICSのハンドソープの
ユーカリに激ハマり。
料理や家事の後の手を
ユーカリの香りと保湿感が
手を優しく包み込むので、
わざと手首までソープを伸ばし、
血液と腕の温度で
少し香りを飛ばすのが楽しみだ。
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