2025.1.5 Vol.25
「All Time Abstract Simplifies 」

赤とんぼ
Haruo Minami + CORNELIUS



新年明けましておめでとうございます。
旧年中は読者、聴者の皆さまに
大変お世話になりました。

このBlogも遂に25記事目を迎えた。
所謂四半世紀的な感覚を
少し重めに感じている。

新年は福岡で過ごしている。
東京以外で過ごす
初の新年かもしれない。

福岡での時間は健やかで
安らぎを齎している限りだ。
移動をしない新年も悪くない。
読者の皆さまはどのような新年を
過ごされているだろうか。







Cue (Yellow Magic Orchestra)
Cornelius



さて、新年に於いて、
例年の自己慣習の見直し、
改善、廃止を行うことにした。

定期的に慣習は
見直しを行っているなかでの
定期巡回要素である。

読者の方々への影響は、
大方無いと予想する。




下記を羅列することによる、
主たる目的として、
drowsinessというコンテンツの
最大化が挙げられ、
其処に付随して、文字という
コンテンツが加わったことが大きい。

熟れてしまっては、
もう義務になってしまい、
何かしらの負の異極を
自らに齎しかねない。

あくまでも、
自分が向いていることだけを
行うための整頓である。







①:新年のご挨拶のメールの習慣廃止

独立してから毎年数百人の方々へ
違うメッセージを
違う連絡ツールで連絡しており、
去年はなんとメール送信に
三が日を費やしていた。

去年からお会いする方の数が
急激に増えており、
もう誰に送って良いのかが
解らなくなってしまった。

そのため、
「僕からメールが
届かなかったな、、」
と思わないで欲しい。

僕は平常運転にて、元気にしている。



②:余程のことがない限り、
一人で飲みに行くことを辞める

去年から飲食店で
お店のスタッフさんや
オーナーさんが、
話しかけて欲しくないときに
話しかけてきたり、
妙な付き合いを強要し、
店に関わることが
義務になることが嫌いになった。

別に僕はお酒を飲むことは
嫌いじゃないが、
自分のスタジオかつ書斎で
好きな飲み物を選んで、
こうやって好きな音楽や気になる資料へ
触れたりしている時間が一番好きだ。


サービスが食い扶持のサービス業が
不快なサービスを与えて、
陰陽かつ表裏の共食い
になっている様程、
呆れる皮肉は無い。



③:行動の高速化

マイクロタスクの
処理速度を上げる。

わざと処理速度を
遅くさせるための理由を積み、
その軽い逆境から
処理速度を出すことも厭わない。

例えば、外での業務に於いて、

会食や食を伴うミーティング後の

ヘヴィタスクや
ミーティング環境を想定して、
重めの朝食を摂り、
逆にタスクを重ねる。



④:③に基づく脳内でのフレーミング効果の
ロールプレイング向上

時々により、状況は変化し、
判断軸は大いに変化する。
その中で判断そのものを応用的な基軸で、
リベラルアーツ的な横断性を思考を行う。

端的に言えば、
縦軸と横軸を基軸にした
立体的な全方位思考への
推移を意味する。

在る種、フレーミング効果における
リベラルアーツ趣向を作用させた
モジュラーシンセという
テンプレーティヴなモノ。

音楽以外のコンテンツにも
思考を最大化させていたい。

そうすることで、
自己で客観俯瞰の仮説検証の純度が
向上することが見込まれる。

そして、最もな当たり前を
疑うということ。



⑤:様々な場所や向こうの人を感じること

今になって、僕は未だまだ何も
歴史の根源や源流へ
触れることが出来ていない。

座学的な学びではなく、
主観的感性と歴史の時事への

閉鎖的なインタラクティブの対話を
繰り返していたい。

僕が触れたい、知りたい、
感じたいモノが
分かる方はほぼいないし、
drowsinessが何なのかも
ずっと考えていたい。



drowsinessとして、
物書きとして求める趣向は
見渡せる箇所からは
無いという意味で
孤独にならざるを得ない。

だから、前述の飲みに行くことによる、
アルコールによる無駄な思考の
不規則な小爆発を避けたいのだ。

自分の感性が秀でているという
優劣の主張ではなく、
単純にマイナー感性の授受や追求を
凝らしているという見方が大方適切だろう。





















続きを
salyu × salyu



何時ものルーティンで眺める
アドレスフリーなHeron。

見慣れず思考の断片で推察する
色違いのカモを横目に、

景色は大枠ずっと平坦である。

答え無き道筋が
何時何処で終わるのかは解らない。
僕が描く道筋とゴールはあるが、
その通りに行く訳がない。

その割に、今の人生は非常に
上手く活きすぎていて、

今目の前にあり当たり前だと思う時事が
何時までも恒久に続くと思っていない。



今、文章を置くことも。
音楽で音を重ねることも。
会いたい人に会うことも。



足が動くことにより、
僕が明確に大きな責任と
想いを大きく背負い、
限られたアセットメントを
大切にして生きなければならない。

この文字を
書くという事象に於いても、
瀟洒に戲れ熟れて
書くという状態では無く、
ただ書きたいという
想いへ素直に向き合い
筆を進めているだけだ。

そして、秘めたる心情にも素直に。
心から僕が届けたい、
捧げたい時間とあの向こう側へ。

答は還らない。
そして孵らない。

僕は素直に今を楽しみたい。

そして「比較的後悔は無かった」

「ごめん、申し訳ない」
と言える光になることを。