「History-formative subject axis」
もう2月になってしまった。
色々と物事の経過早く、
ものの見事にカレイドスコーピクスな日々。
と言っても、特に日々に変更点はない。
良くも悪くも満ち溢れる日常が在る。
今も毎度御馴染みの座標を
大幅にズラしながら
定位置で文字を認める。
最近は蕎麦と胡麻に没入しており、
すり胡麻と煎り胡麻を
混ぜるのが心地良い。
そして、自宅に居る時間も増えているので
トイレや水回りを掃除することを
日々の日課に加えた。
目に見えて変わる理由ではないのだけれど、
さり気ない居心地、いつも清らかへ
何かを添えたいという想いが、
今の僕をそうさせているのかもしれない。
(※特定のスピリチュアル、
思想、宗教的は介在しない)
ルームフレグランスの添え方も
独学で変えてみた。
日々作る同じメニューも
入れる調味料や添え物を変え、
日々歩く道でも無駄に遠回りをしてみたり。
些細なことでも変化を齎すようにしている。
そのなかでも、時折後味が心地良い
台湾烏龍茶を飲むようになったことは
新たな大きな変化である。
烏龍茶は全然触れていなかったが、
人間としてのN軸は、
お茶しかり代々な「ヒストリカル」
なモノに還るのかもしれない。
話題をヒストリカルに添わせれば、
近々祖父の命日である。
祖父はほうじ茶と甘食を愛していた。
何故か僕はやたら可愛がってもらっていて、
自分が食べる甘食を僕にくれながら、
戦前のプロ野球の話で終始盛り上がったし、
今は無き西武球場の秘密も教えてくれた。
僕が何故戦前のプロ野球史に触れていて、
かつ少し野球について明るいのは、
祖父との会話を実らせるためでもあった。
そして、郷土資料館で触れられている
八王子大空襲を知る唯一の身内だった。
野球から日本国内の歴史へ
転化して触れていたのも
純粋に祖父の影響なのだと思う。
幸い、義務教育時の社会科だけは
勉強に困らなかった。
最低限の教養を備える
キッカケがあるこの国の義務教育へ、
この点だけは感謝している。
祖父はある意味、偉大な人間だった。
いや祖母や周囲には暴れん坊、
いや昭和の古風な男だった。
聞けば、言う事の聞かない
祖母や母の私物や仕事道具を
旧街道にぶん投げてしまい、
それが見知らぬ人に
持っていかれたという。
しかし昔はガットギターを弾いて、
ご近所でギターを披露していたそうだ。
そのタイムライン、今祖父と話すなら、
この話題が大いに実るだろう。
祖父が何故偉大なのか。
それは本当に即死レベルの
不幸な事故に何度も遭うも、
重症とはいえ、
元気に生存しているからだ。
祖父はタクシーの運転手だったのだが、
1つは首都高速での玉突き事故、
もう1つは甲州街道で
薬物乱用者の学生に追突きされ、
イチョウ並木に正面衝突したことだ。
その正面衝突こそ酷い重症で、
首が不自由になる後遺症を負うも、
それでも元気に過ごしていたのだ。
だから、祖父の戒名には、
その証が刻まれている。
「何度も死を乗り越えてきた人間」
と。
僕が最近付けている腕時計も、
僕が持つ唯一の祖父の形見の
手巻きのドレスウォッチである。
ネジを巻く度に祖父を思い出す。
時間は戻せないが、祖父との記憶は巻く度に
込み上げ思い浮かべられるのだ。
このBlogを見て、
何かが辛い人がいるのであれば、
僕を見かけたときに、
この腕時計から力を分けてもらってほしい。
音や文字で通わせている
この読者の方たちであれば、
きっと僕の祖父も大いに喜ぶことだろう。
僕の生命力や活力が何気に衰えないのも
祖父の遺伝子が
刻み込まれているからかもしれない。
先日からInstagram内での新企画
「Nayuta」が始動した。
「Nayuta」はこのBlog上での文字の世界観に、
僕の新しい音と写真を添え、
ふと目に付くタイムラインを記録していく過程だ。
今後定期的に始動していく次第。
「Nayuta」を始める契機の源流は元々Blogだったのだが、
別の目的で制作している新曲たちを
少し人目に触れさせておきたかったのだ。
人目、いや耳や感性に
晒させて頂くと言うのが適切かもしれない。
読者、フォロワーの皆さまには不慣れな様相を晒すが、
新しいdrowsinessを先んじてお楽しみ頂きたい。
僕から何かを指し示すのではなく、
平面ではあるが、双方向な表現として、
皆さまの気持ちや第一感を措いて欲しい。