2025.3.26 Vol.39
「Purelize setting for #ffffff」



少し霞が取れた心地の朝はまだアンニュイ。
ここ数日、かなりの心労、疲労感が
溜まることが重なり、
所謂週末のグレー感に苛まれている。

疲労感を経た自分を
何処に置けば良いのかが分からない。
昨日も珍しく定時床就したのだが、
寝心地が非常に悪く、
短眠気味で、快眠の心地がしない。



最近の僕は疲れ過ぎている。
気付けば不意討ちのように
話しかけられることも増え、
ある程度の背筋を正すことを考える日々。

そして賛同されるある疑念と
小難しさが悪さをしている。
何時もなら乗り越えられる
ポジティブ原料が枯渇している。
そして首と肩の凝りが酷い。
何時も悩ませられる
この時期、事象には嫌気がする。
心身的な痛みなので、
塗布すれば治る理由ではない。
早く全てが滞りなく終わることを望む。





















朝焼けが早くなった今宵。
意識を凝らすと、時間は遡っている。
少なからず、今は夜という
疑軸を指針に判断を沿わせる。





僕は見慣れないステージに立っていた。
そして、あの曲が流れている。

僕は未だかつてこんなステージに
立ったことがない。
日比谷野外音楽堂と、
僕の最後のステージと
決めた場所が重なった会場。
こんな大歓声を受けたことがない。
今が既に過去をサマライズさせ、
ある種人生のオールタイムベストの
走馬燈を浮かべていたのだろう。
僕が信じた世界は叶い、成立したらしい。

知りたいのは世の中への余波、
そして横に見慣れたチームがいるか、
そして古参の方々が見ているか。など。

気付くと、ビックバンドを従えており、
最早歌謡曲のショーを思わせる豪華編成。
少なからず、drowsinessのライブではない。
しかし、その形式は変数構図解釈図式上の
理論では成り立つ。
(今此処で書き控えよ。
序章を飯櫃にさせ、
未来を大きく変える懸念あり)

しかし、前提としてdrowsinessは
3rd albumで活動を終えるつもりで、
其れ以降は全く違う形式で
音楽を表現しようとしていた
ルートα+が存在していた。
実は其れをあるステージで
比較的最近こなしている。



話を戻そう。

僕は客席の中心左手におり、
背景で流れるビックバンドを感じている。
何か暖かな淡い紅花色のような
複数色の覇気がより高揚感を齎している。
ビックバンドの心支えを確かに
Heartbeatと高鳴りをSinkさせている。

そして隣にあの憧れの彼が笑顔でいる。
何故だ。其れは叶うことじゃない。
実は今までも叶えたいことは叶っているが、
それは叶ってはいけないことだ。
しかも、阿吽の呼吸でセッションをしている。
そして、其処にいないあの人のパートを
僕が担当していた。
恐らく人生最後の夢になってしまうが、
現世で叶えてはいけない叶えられない夢。

そして、あの名曲が恙無く演奏されている。
僕が何の楽器を持っているかは
覚えていないが、セッションしている。

少なからず僕は彼との共演を安々と叶え、
彼の大名曲に僕が参加していたのだ。
そして、僕がもうそろそろ自分の葬儀のBGMを
考えなければならないと、
頭を過ぎらせていた矢先に、
この人が出てくると思わなかった。





















確かに僕は彼のことが好きだ。
今までの人生の総括の対比として、
誰かが僕に彼の姿を感じてくれるのなら、
それは唯一の成功体験なのだろう。
それを現存で体現しているのはあの人で、
僕はあの人のことも非常に好きだ。

僕は未だ現実だと思っており、
共演の形は想定外だった。
これが黄泉との更新だったのだろう。
それは今の僕への少なからずの励ましと
理解しても良いのだろうか。

僕は彼の人生曲線の真逆を行きている意識。
其処までのPUMPはまだ靄も見えていないが、
其処まで行けてしまったら、
もう僕のやることはないだろう。
其処で純粋に拙い美学を添えて
綺麗に居なくなれるのなら、
今かつ前述なんて何も辛くない。

誰かに分かってもらえた前提で
「良かったね」「頑張ったね」「すごいね」とも
金輪際言われたくない。
応援して下さっているのは嬉しいが、
其れ以上のオーバーリアクションは要らない。
本心で言って下さるのは有難い。
それは分かる。

ただ日々自分の身の回りに起きる
滑稽奇怪さに疲れている。

ただ隣にいてくれて、
何事も無かったように
寄り添ってくれるだけで嬉しい。
何も知らなくて良いし、感じなくていい。
そもそも人としての幸せや楽しさを
解り会える在り方だけでいい。
本当に其れだけに
満ち溢れた日々でいい。



誰も予期しない恐らく地球上の何処かで
僕のことを一切何も知らない
言葉も伝わらない誰かから
「君は何処かに意思を残してきたのだね」と
感情を添えて言ってもらえたとき、
寄り添ってくれる多き人々へ
常に快き光が常に寄り添うのだろう。