「I:Emerald U:Serenus」
地軸を移動させている矢先に、
倦怠感を纏わせた親指を正気にさせていく。
ある程度非現実的なシュミレーションを
日常に溶け込ませることに悪き化学反応が
端々に作用する様は見事な限り。
毎度裏切られてしまうのだ。
その谷底での苦悩を堕とすことは慣れたものだが、
それは精神同期したものではなく、
思考が世に適応出来ない現実への
内情的な不甲斐なさを意味する。
乱文を錯誤させていくことを
アートと定義出来るのなら、
多少は良いのかもしれないが、
受け手が如何程に感覚をシュミレートするかを
デザインする丁寧さと適度なアブストラクトな
匙加減を施すことになる。
意識は純化され、四肢へ循環されることで、
今の自分が活きていくと解る作用。
本来言い訳をより難解に階層を付点した表現に
瞬きが躍することが同期しない。
平やかに成れる様に多少の美学を感じる。
伸びやかに平ゆく何かに
透明な縦軸を沿わせ感する。
霧征く先に理解されない君を追っていく。
其処と指先から伝う何かは通らない。
征く、透る、擦れ違う、、
虚無理想主義的な鎖状を崩すための
暫定冥利な砂を知る誰かに配慮など無く、
掬う手から溢れ溢れ逝く様を
『何と』定義すべきなのかを
考えることが邪推と成る。
楽天的な何かに手技を委ねられるのなら、
何の躊躇いも無く手元を預けることだろう。
数々の年輪が通ずる刹那の
旬たる今に沿う川へ目線を沿わせる春。
そして憂鬱な仄かさは濃淡を
より艶やか時に甘切の想いを一筋通す。
虞るる現実へと還る。
さて、もう少し腰を落とすとする。
奇しくも状況は
目まぐるしく天体を推移する。
もうあの座標には居られない。
絶妙に届かなき小宵の塵星に
居場所を求めなければいけない今を
アートと呼ぶならば、
其に唯一のホメオパシーな
エメラルドを処方したい。