2025.5.16 Vol.44




刻々と時間は過ぎていき、
小なり大なり均式の山を超える。
今、此処に来た。

僕は世の中や世論で「ダメや否定」される
事柄へ沿うことへの迎合を謝絶した。
居心地の良さを不感湯と比喩擬えるのなら、
それは恒久に続くことを誰もが望む。



さて、今の世の中は
健やかな恒久永遠那由他が
紡がれるのだろうか。

誰でも分かるだろうが、ノーである。
その日常は確約されたものでない。

個人の内的要因が
主たる自らのDNAとの苦闘を経て
外的要因との対峙となることが
見込まれるが、
自らが持つ天命と意義に基づく
内なり秘めたる声を
聞かねばならない。











その内秘の鼓動と脈は主軸と異軸と
常時連動更新されているか。

僕は秘密裏にソレを処理した結果、
社会に居場所がないことを察した。
多少の余暇と引き換えの
限られた自由が足枷となることが、
今後の人生に大きく作用すると考えた。
若さは一方通行な享受であり、戻ってこないのだ。
(アンチエイジングという主体的な動きは勿論歓迎する)



僕は迷わず退路を絶った。人の繋がりも全て。

先行き見えない未踏の世界における方位磁針を
自らの感性に擬えることを試みた。

それが27歳の秋。
僕が初めて全てのギャラが出た
ライブを経たとき。




















5年を絶った今、
僕は東京に居続けることを絶った。

小学校の同級のなかで、
最も地元を離れた人間になっているらしい。
僕は同窓会には行かないと決めている。


今の世論における年収立場権力など

砂上の玉座的な定義の会話でしかない。
砂が砂に覆いかぶさり、
砂塊が出来たとしても、
その他大勢は砂質など
見分けられる訳もなく、
只の砂場としか見ないだろう。


それは僕の周りで億万長者の方が
その数日後にビジネス崩壊し
債務超過で不眠の日々に
苛まれる今を知るからだ。


そもそも、今の世論の内外も
皮肉ながら枯れ果てていて、
麗しの水滴やオアシスを
心から求めているのだろう。








今は今までの全てでは無く、
全てを肯定否定もしない。
意思と目的が在れば、
其処に居なくていいと思っている。
僕の理想はGPS的な追跡における
痕跡を除いた現実から離れること。
眼の前に触れていることよりも、
現世で叶えられない先を霞伺っている。
其処に過去の偉人や奇人貴人才たる人々から
Future - Now - Thenを採取し、
Authenticを見る。



未踏の世界では壱人で居るしかない。
悲しいようで悲しくはない。
こういう工作を企む自分が最も滑稽であるのだ。

そのAuthenticは理解されるもので無い。
自らがギリシャ語由来の意味の
ホロコーストを擬え、
内的に駆逐され
論理的な自滅を成し遂げる可能性もある。



今の生活もそこそこに悪くはない。
しかし、ご時世というモノに顕著に晒される
季節外の有象無象の吹雪と
ホワイトアウトを抜けた
底無のブラックアウトに
光が見えると思えない。



効率的なホメオパシーを
唱え続け浴びるように摂取。
既存のカテゴリー、
テンプレートに形容されることなく、
今欲しいモノ、理想を形成し、
自らが処方箋、いやレシピを考案する。



未踏のマインドの波形の山脈を超え、
今此処に来た。
越えられなかった過去を知る。
そして今がある。

今夜、僕は雨空に己のみに明示された
未踏の三碧を眺めることになるだろう。
僕が選んだ未来が具体化される今、
今まで笑われ貶された過去、
全てを博愛で誰も傷つけずに
未来で形清らかに清算したい。