「Unethical Musicable」
初夏が入り交じる
皐月の心地良さと名残惜しさを
切り替えられないことが
尾を引いたのか、
先週からそこそこに
体調を崩している。
(尚、念を推して書くが、
精神的な問題ではない。)
過去のBlogにも書いているように
梅雨時期には1週間ほど
体調を崩しており、
つくづく公演のスケジュールが
入っていなかったことが幸いした。
尚、今週のプライベートな予定も
全てキャンセルさせて頂いた。
今後のストレススケジュールも
鑑みると無理は出来ない。
ここは利己的に歩を休符するとする。
病状は安定しているのだが、
先週からかなり喫緊としたタスクに、
多感気味の体に
早き薄着を纏ったことが理由だ。
周囲の医療関係者のレビューにより、
体調は改善している。
筆感筆速も滑らかに進むと思い、
今に至る。
drowsinessの体調不良は
非常に厄介であり、
例として風邪だと思い、
内科へ行っても適切な処置が施されない。
仮に腰痛、肩凝りという問題も、
整体へ長き通えど長里の先も見えない。
身体症状はDr.Fのみが
阿吽の呼吸で的確な判断を下すのだが、
コレと言って薬が処置される訳でもなく、
「いつものですね」くらいでしかない。
そのため、自分で漢方を選んで処置をする。
親族に新旧の医療従事者がいるので、
其処からの助言もあるが、
全く関係ない情報源から自分の体を見ている。
今回は悪寒が酷く、
寝具を汗で濡らしてしまうことで、
より悪寒を齎した挙げ句、
不誠実でアブストラクトな咳で起床。
吐気を齎すような濃き黄丹を齎す咳。
並行して後頭部の頭痛が抜けず、
食欲もない。
お腹が全く減らないので、
とりあえず体調不良のときに
食すモノを摂っている。
毎度お馴染みのファミリーマートのチ
ョコミントアイスから
活力が底上げされた。
買い物に行くのが億劫で仕方なく
Uber Eatsに救済を委ねることとした。
大手スーパーで割引の飲料が
買える発見も有りながら、
自宅に着いたにも関わらず、
そこから離れたコンビニに移動され
優先配達が40分も遅れた挙げ句、
冷めたランチが届き、渋々食す日も。
そのことをUber Eatsに申告すると
お詫びのクーポンを頂いた。
早朝のコンビニエンスストアでの
Uber Eatsでも助けられた。
目が覚めるときに玄関先に
塩分やぶどう糖供給源があると有難い。
drowsinessの(最初で最後の)
元メンバーのスズカケイトくんは
不定期に近況を話し合う
掛け替えのない親友である。
彼は医療に携わる仕事をしているので、
最近も電話しながら体調を話すと
「後でまた色々と起こったら大変なんだから、
せめて1~2日くらい休んでくれよ」
とか言いながら、2人であれやろう
コレやろうとか話していると時間は立つ。
「普通そんな咳をしていて
4時間も電話できんよ」と
言われながらも
体調不良のときの電話が一番楽しい。
(背徳感のある深夜のラーメン、
ファストフードを摂るときと比喩を重ねる)
気づけばこのBlogを書いて、
そろそろ1年が経つ。
そもそも誰がコレを読んでいるのかが
謎であるため、
アクセス解析は何もしていないのだが、
そもそもこのBlogを始めた理由が
セルフメディテーションであり、
それが想像以上に
面白可笑しくなってしまい、
今に至るのである。
このBlogに台本も企画書も
ライターも編集者も居らず
(御飯事には付き合いきれんだろう)、
良くも悪くも僕が全て
気分と直感で書いている。
正直、音楽聴いて下さる方よりも
「Blogいいですね」と
言って下さる方の方が目立つ気がしていて、
「今迄の14年とは」を
24連分の15寸志で考えるが、
答は無い。
Blogを書いて、
僕の生きる方向性は
変わったと考えている。
この源流が無ければ、
NayutaもHome Holesも無かった。
その文脈からの活力は間違いなく
日々の営みに潤いを齎している。
僕は此処に大きく
福岡に居る意味を感じている。
正直、音楽も文作も
偶発的に発生したものであり、
機材のこともコードも何も知らない。
ミキサーの使い方、
スピーカーから音が出る仕組みを
知ったのも去年。
弊チームのメンバーから
「音楽を聴かない方がいい」と言われたので、
あまり聴かないようにしている。
敷いて言えば、
昔廃盤で聴けなかった
インディーのメロディック・パンクを
ストリーミングで聴いている。
文作はお金を頂いて書いた記事が
駄文で某所で炎上し、
書くことから離れていた矢先。
書くことは誰かに代行を
依頼していたくらいだ。
文法も文脈も無茶苦茶な文作へ
自ら光を灯すとは想定外。
さて、世の中に陳列するか
表現される何かのように
「〜の要素を足して〜を入れれば
70年代の〜で」と大衆迎合かつ
プロダクトマーケティングフィットを考えるが、
そんなことは何も考えていない。
服で言えば、
今の古着カルチャーを
前提としたブランドの
サンプリングカルチャーへの
自己解釈の透過が至極明瞭であろう。
世の中が分かりやすさを
より求めていくのなら、
逆にそうじゃない形で
伝わることを考えたい。
道徳的かつ模範解答的かつ
テンプレーティブ、
懐古主義な表現に悦を求めるなら
其処にあった時代背景や根底にも
感性を晒してほしい。
全てが都合良く
表層的に切り取られていく。
その先の会話も
コミュニケーションも縁も、、
古き良き時代の情緒を
全て悪としてしまっては、
ニュートラルではない。
活動して14年。
周りで生き残っているアーティストは、
道徳が分かる方、
道徳に迎合している
利口な方以外は全て消えた。
だからこそ、
僕は非道徳を悩み凝らして、
drowsinessという
表現性を考えたい。
それがdrowsinessだからだ。