2025.5.7 Vol.43
「Dreamatica, Missed Own - Tetrapod」



気付けば皐月を迎えていた。
目まぐるしく淀む日々は
厄介で仕方ないのだが、
それで粋を周回させては困る。
皆さまはどんなGWを
お過ごしだろうか。


僕のGWは想定余地しない
トラブルエスカレーションが富み続ける。
喜怒愛楽を見せたくない人々に
「真摯な姿勢」として
「怒」を意図的に見せなくてはいけないことも
自らをシニカルに
捉えざるを得ない。

人生が大気の気候変化のように、
大きく変わろうとしている。
全ては先に経験しておくに越したことはない。
人生は一回しかないと意識すれば尚更。
何に於いても、老いを追いかけても….











drowsiness、2025年初ライブが終わった。
nananaさんとnykeさんの duo exhibition
"POP MATE" opening party@KANZE ARTSにて。
想像以上に多くの方々にお越し頂き、
有難うございました。
お声がけいただいいたお二人にも感謝。

実はdrowsinessのソロでは
東京以外にて初ライブ。

正直、自分の中では30%ほどの
ライブの出来ではあったが、
Dear Vainでいつも初心に還れるの 。
最近はコードをチョーキングするのも好き。

今回はnananaさんとnykeさんのDuoの
初々しさに感化されて、
現在水面下で諸々の動きを行う
1st album「drowsiness」から2曲を演奏。

アンプでの演奏は練馬のギニーバー以来。
今はラインでの音の出力前提での
機材組みであるので、
ギャラリーでの演奏の場合は
スプリングリバーブを半分以上かける。

細かな解説はPodcastにて
楽屋裏トークを持ち込む。
続編を待って頂きたい。

しかし、文字の面白さを引き続き進めたい。



珍しく衣装のことに触れようと思う。
トップスはいつものクリストファーネメス。
尊敬するZAZEN BOYSの吉兼さんが
さり気なく仰っていた
「同じ衣装を着続けるのもいいのではないか」
というアティテュード、
僕も繆わせて頂くこととした。
ネメスを着ると、
すごく力が貰える気がしている。
今はネメスのトップスが
衣装の気分である。

drowsinessといえば、
ハットと眼鏡のイメージがあると思う。
夏を意識し先取りして
古着のパナマハットを被っている。
スラックスはヴィンテージの
COMME CA DU MODEのスラックス。
生地も作りも丈夫で流石日本製である。
ソックスは一時期から愛用している
奈良のブランドROTOTOのラインソックス。
シューズも最近見つけた古着のジョンロブ
(嗜みの調整済み)である。
ベルトはGUで390円で購入したものだ。

drowsinessは声を高らかには
出来ない程度に服が好きだ。

最近は祖母のお兄さんの形見の
CITIZENの手巻き時計のベルトと格闘し
某百貨店がお手上げだった
NATOベルトの接続に成功した。
不器用な僕でもよく出来るものだ。

今年はまだライブをやる予定がある。
僕が一番楽しみにしているのだ。



































清らかな空も倦怠感を漂わせながらも、
規則礼儀正しき天候移動させることに
敬意を持ちながら、
地軸を主軸としたロードフィルムを
樂しむとするGW。

恐れ多さもあり、
街へ出なかった皐月連日。
肌寒さにリネンよりも
NIKKEが程よく作用する。

程良き心理的疲労を吐露せぬよう、
内密に押込める。
その弱さを世に晒さぬよう、
晒水にも触れずに、、

夢の中でまた現実の方位磁針を見失う。
夢は浮力の作用が強く効きすぎ、
夢遊へ浮遊。




情景が大きく周回変化廻りめく。




静かな湖畔。

比較的低めな石垣に囲まれている。
薄き霧が多層連なる水面と
水辺の上で饒舌に絡み合う。

其処に差し込む光は霧と
リフレイン瞬く様は見事で、
エメラルド気味の光量彩度明度で
岸表が光色している。
湖畔の向こう側には
霧霞む山頂も見える。

何処かで見た景色。
でもどの場所か断言出来ない居心地の良き景色。
この景色に日本の和とアンビエンスな
ナチュラルランドスケープを重ねた。



何処からか強く声で引き戻される。
此処にいてはいけないのかもしれない。
僕は強く此処に留まろうとするも、
強くNayutaに巻き引き戻される。








































目を開けると寝室からリビングが見え、
妻が僕を呼んでいたのだった。
どうも猫が嗚咽をしたので、
心配して起こしたらしい。
直ぐに落ち着き、事なきを得た。

猫の嗚咽の本当の意味、
僕を現実に引き戻すための
邪気の解毒の身代なのではと
邪推を微弱に膨らませる。

つくづく自らが光になる場合の
臨死経験を夢に重ね、
何時でも夢遊を愉しむ心積りはあるのだが、
drowsinessの音は
仮説の臨死状態から見た
景色の感覚を
奏でているのかもしれない。

そして何事もなく夢に就く。
今度は間違いなく
しっかりと足が付いている。