2025.6.12 Vol.49
「Turning : I Could to Science」

居心地の良さに
露点的な冷却を
求めがちな日々。

目覚め悪き惰眠を
忘却へ追い込みたい思いは
連綿と込み上げる
やり切れなさは言うまでもない。





定期的に座標を
高速に移動させている。

気付けば渋谷の密かな人工林に身を潜め、
最近最も意識して研鑽を勤しむ
道教の独自解釈の瞑想の余韻が
1時間半続く今、指で書いている。

特定の宗教や政治的なメッセージや
主義を持たず引用せずに
音楽や文作に勤しむ自らは、
1日1回の独自発展した
瞑想による体の琴線の調律を齎している。

頭は段々はっきりと
輪郭の抽象性を具象的に作用させている。
ここにコーヒーを齎すとどうなるかを
仮定したときに、カフェインで確変的に覚醒し、
感覚に量数による変数を
作用させることへの
物質への猜疑心を否定出来ない。













また座標と日を巡った。

久しぶりのSaunasで
1ヶ月前のSaunasでの快感を経由し、
整備された後に
開放的に開けた自分が居る。
セルフロウリュでプロセスを
短略するのも美だが、
多層のincenseが連なる
連香の隊列に沿う熱波は見事。

換気も加えた些細なタイムラインを添えた
懐石料理のような15分は尊かった。















また座標と日を移行。
一時的に東京都を周回し、
山手線の周期へと迎合し、
無数の隊列と集団行動をしている。

集団行動が苦手な僕にとって、
この時間は義務教育的に
避けて通れないルーティンの一部となる。










向かう来たる白、避けて通れぬ意味を知る。












また座標と時間軸を移動。

満員電車に押し込まれ、
反発と反動で移動した先は
恵比寿ガーデンプレイス。

混雑から解き放たれ、
時間軸は伸びやかに瞬く。

ゲイシャを嗜んで以来の値段の温珈琲を頼み、
比較的涼しげな風を仄かに浴びながら、
数分先の待ち人を待つ。

最近は恵比寿に居る頻度が増えている。




Sphaseという言葉について、考える。
外部要因から知り得た
ナルコレーションという
音感応えの良い言葉を感覚に馴染ませる。



普通は料理における
微弱な過不足を補うかの如くの
ソラナックスを含んだ後、
ここは決めなければいけないと、
数日前からフルニトラゼパムを
摂り律した自分で瑞々しく感受するのが理想。


この現在を受け止めるために
科学も倫理も欲さない。

ただ堕としていく。堕ちるまで落ちる。

比較的慣れた心持ちにて。



歳を重ねた僕は、
其処から自律で持ち直せる。
その場凌ぎではない。

散文的な日々の反芻が
連なり繙き成す暫定造形を
織り成すことによる浮上と
一歩のスムーズさが上手くなったのだ。

5の蓮が並び出した今、
新しく生まれ変わる。

一時的な袂を分けど、
やはり最前列で無価値な造形物が
朽ちていく様を見て頂きたいのだ。

アウトローな自律好感神経の
成り立ちは摩訶不思議で、
ここから立ち上がられるのだ。

心の声をずっと聴き続けるだけである。

















































座標と時間軸を推移。
岡山を視る。

車窓から眺めた高島屋のロゴを見て、
過去の記憶の断片を寄せた何かが
岡山にあることを気付く。

犠牲と無碍の上に成り立つ
我が酷くサギングし続け、
半円の波紋をリフレインし続ける。

決めきめなかったことが
申し訳なかった。
季節外れの深々たる何かが体に落ちず、
潤んだ瞼は倉敷へ向かうと共に乾化。




過去にも現在にも迎合を求めるも、
孤独な人工衛星でしかない
悲観なアウトローは

『こうなるしかなかった』
『こうせざるを得なかった 』

と悲壮を連ねるより他ない。

自分はゆっくりな間合いを
歩いていると思えど、
実際はかなり早く歩いていることに気付かず、
多くの何かを置き去りにし、
走馬灯のように流れる車窓に
安定さを求めるのは、
今の自らを比較的模しているからだ。

そして、人に甘えて
共感性を委ねてはいけないのだ。

その要因を作り出した容疑人は
存在しないのだが、
完全に自らの扉が閉じてしまう。
今を分かって下さる方はごく僅かだ。
その方々には合鍵を渡すこととする。



其処で破天荒で奇人な
アーティストの様を見せるつもりも、
その実態も模さない。

ただマインドフルネスへの
透過と解脱を繰り返している
インスタレーションでしかない。

其処で只孤独で居続けるしか、
答えが無いのだから。