2025.6.16 Vol.50
「Throne on the sand of peace:
Ambient of good moisture to aim for everywhere 」



このBlogを置き、
1年で50を連ねた。

気づけば自分の年齢を
優に超えた栞の連符に、
実体験で感じない
蓄積:目視での文字量で
日々移りゆく体感で
不明瞭な肌障りのみが残る。



人々が安眠に浸り始める
今に筆を執る。

感覚的に何かを
投げやらなくては遣り切れない今、
通常は快適な睡眠の向上に務めるのが常だが、
Blogを初めて、
その心情をそのまま
ここに貶すが日常だ。






















Run Thought Yesterday, Everywhere…























ふと振り返る全てが
酷く酷く末恐ろしい。

全ての責任、感受を多感に巡らせると、
駆け抜けていたという実感も無く、
コンマの層を顧みない。




無責任な快楽主義は好まない。
しかし、誰かに何かを委ねることで
一時的なディストピアから
避難出来るのであるなら
仮説な定理でも有難い限りだ。



華やかさを連ね、
駆け抜けていった
刹那とコンマの隊列。
隊列を抜けると、
一晩で体重が3kg落ちていた。





drowsinessに
アンビエントを求める人々。

創作者もうつけではないので、
需要は程よく理解している。

この言葉をLandingな
低域の琴線に比喩するのなら、
その創作者が求める
既存の概念で想起されない
安住なアンビエントが欲しい。

気づけば、自らが出ることが出来ず、
其処から出ることも
望まぬ牢へ閉じている。



カレンダーを跨ぐほどの振子の振動に
素直に耳を傾けている。

今の僕のアンビエントは其処にある。
求めているのは
ドローンでもアンビエントでもない。
限りない無音を基軸とした感覚で
授受するパルスが欲しい。


















今は大きく夜が寄り添ってくれ、
微睡みが大きな安らぎを
深くSyncopation。

何を話しても判ってもらえないと
解っているから、
夜へ微分積分を高崇冥利を瞬かせ、
限りない今の酷さを無音で捉えている。




何故今其を求めるのか、
誰にも何も分からないだろう。
知識や知恵、付帯する情報を
作用させ反復させて活きる様は
理論武装と屁理屈を
整理して並べているだけで
心から惨めを改めることなく、
俯瞰客観的にも堕ちているだけ。

こういう生き方が最も情けなく、
誰も何も救えず幸せに出来ない。



静かな町並みに、僕が求める何かはない。
この夜へ身を溶け込ませる秘儀で楽になれるのなら、
どれだけ安住な開放の奥深さを愉しめるのだろう。





Run Thought Night , Passed for…

























この哀しみと朧げな
ディストラクションの大勢から
抜けられるのは何時だろうか。

誰かに居て欲しいという
贅沢を仄かに望む今、
最期はどうせ朽ちて
独りだと判りきった先々があるのだから
目を透過した先の暗闇に
安堵を感じるのかもしれない。
だから人々は全ての終始の創造色となる
白と究極の100主の黒を選ぶのだ。

今はただ、無垢な夜で居続けて欲しい。
次に来ると解った明日が来ることが
現実逃避と進退両難への道から逃れさせない。