「Full Harmonication to Heart Waves」
小波を大波を泡立たせ、
波際へ身を寄せる。
赤面した先の恍惚と健やか健全な快楽は、
自らの脈拍の波へ耳を寄せていく。
ある程度の荷物を持ち、
それを行く先々へ落とし、
肩の力を物理的に抜いていく。
秘密裏に身を寄せた。
比較的見知らぬ町へ
身を透過している。
車窓から透過した向こう側は
黒雲も模し束ねていた先へ、
限りなく身を寄せたいのだが、
人間にも出来ないことが
多少ある方が自由で良い。
空を描くことが出来ないくらいで良いのだ。
数日の空算的な近過去を準える。
底を経て、何事もなく今があり、
アルコールも美味しいと感じることも幾多に。
こういう日々や辛さ、
つまりは内外的な酸欠を経なければ、
満ち溢れた酸素に感謝する今すら無い。
カーボンオフセットとは全く非なる、
空気に価値を見出す今。
指定された場所に積み上がる
無有機や堆肥物をゴミと名付け、
縁を切り、前後の脈絡を切断し、
意味を無くし続ける一方通行が
日々を埋め尽くし続けることを、
未来は何も評価しないことだろう。
環境問題主義者ではないが、
我々の100年で残せるものは
比較的朽ち果てない
プラスティックと科学的有機物だけで、
何も残らないと思っている。
朽ち果てないプラスティックが
凛々しく積み上がり、
文化も図式も構図も見栄も尊徳も
朽ち果てリレーが断絶されるとも思う。
その証言者になることが、
我々の世代の使命なのだろう。
そのため、文字や写真、動画という
データを集積し続ける
無形の証拠物が後継人かつ
保証人になる可能性も被疑出来ない。
人々はメモリとハードディスクへ
写真や動画、文字を遺しづける。
無形物とはいえ、可視化すれば
無量大数の群列になり、
地球の面積対比では、
全くの居場所が無くなってしまう。
皮肉なことに、
僕もスマートフォンへ
KBを落とし続ける。
下しか見なくなり、
周りへ関心が無くなった人々を
立証するモノが写真になり、
スマートフォンに寄り添わない、
SinkをThinkしない生活こそ
誰にも奪われない唯一の充実。
真横で起きるロマンティクや
刹那、恍惚に目が流れていき
飲み込まれていく自然に欲する何かへ
素直で無くなってしまう。
素直で無くなった今、
盲信的な拝受思想すらも
隊列を帯び続ける。
何も感じられなくなり、
言葉でリアルで交わさなくなった今、
自分が信じられない。
そして、人も信じられない。
だから、非現実な哀れみでしかない
一夏の蜻蛉の儚き生命光のような、
無明の門を跨ぐことに
憧れと恍惚を抱き続ける。
そして嘲り全てを失っても、
また追い続ける。
相手も自らも唯一無二で
1度しかなく大きさも質量も
変わらない煩悩で少し色味と製造地が
違うだけのインスタントフィルムでしかないのに。
車窓を駆け抜けていく。
東京に答えも応えも無い今、
車窓の中の微々たるマイクロへ
眼を落とし続ける。
降りた先では雨が降り、
珍しくおざなりになった
ブラッシングしていないシューズが目に入り、
目も当てられなくなり、
秘密裏に約束さわれた場所へ向かい、整える。
今の最適解は、ある部屋の照明を
7割にした状態に居ること。
自分がドアを開けた先に
話せるかもしれない人がいること。
そして呼吸を整え、鏡に映る自分が
鏡の向こう側の現実の有機物や無機物へ
背いていないかを悟る。
Mirage Mirrors Immigration by Front
限りなく緑蒼色が溶け出す今。
限りなく嘘が無いことを知る。
そして、緑青色の淡き
気泡の一途へ想いを馳せる。