2025.7.30 Vol.56
「Best Eclectics Vol.3」







































某日某時刻 Oにて

いつものように地名Eからタクシーを配車。
駅から離れたいつもの店舗で
掘り出し物を巡っていた。
幾許かの収穫が其処にある。
少し遅れてタクシーへ乗り込む。

『お兄さん、お会いしたことありますよね?
Hまで乗せたものですよ』

正直、僕はHへタクシーを
乗った記憶がないが、
おそらく某地下へ向かうときだったと
過去を推察する。

『お兄さん、メガネと雰囲気と腰の低さが
異常に印象残るのですよ。
今までそんな人乗せたことありませんから』

純たる謙遜を基軸として
会話を弾ませていく。
運転手さんは偶々
営業所に戻ろうとしたところ、
僕に偶然呼ばれたらしい。

比較的駅沿いの商店街で降ろして頂く。
少しばかりチップを払わせて頂いた。





某日某時刻 Tにて

福岡滞在時は基本的に革靴による徒歩移動、
天候が酷ければバスだ。

しかし、次の予定への
スムーズな着地を試みるとなると、
最速はタクシーという手段が
最適化される。



福岡随一の繁華街Tの
幾つかあるタクシー乗り場。
そこで妻とタクシーに乗り込む。
そうすると、タクシーの運転手さんにしては
飛び切りお洒落でダンディな方に出会う。

『前、お会いしたことありますよね?』

即座に僕が運転手さんに話しかける。

『そういう柄物のテーラードが似合う運転手さん、
お見かけしませんから、
よく覚えています』

運転手さんから、行き先を尋ねられ、
某通りを車で沿いながら、

『あ! あそこあたりに住んでて、
Zを異常に歩いてる変人の人ね。
覚えていますよ。ご無沙汰ですね』

見た目はすごく怖いのだが、
とても博学な運転手さん。
そのときは天神の名店中華へ
車を走らせて頂いたのだ。

『福岡も老舗中華の味が落ちてねぇ。
◎なんかもう行けませんよ。
お兄さんが行く◎は
会食に間違いないですね。
ここに行くなら◎もいいです。
でも最近混んじゃって、
地元の人が行けなくなっちゃって、、』

そのお言葉が忘れられなかったのだ。
だから輪郭深く覚えていたのだ。

運転手さんは出来れば
大相撲を見れる時間に帰宅したいらしく、
◎時には早上がりされるらしい。

『ツーリングで◎へ馬刺しを買いに行くんですが、
アレが中々良いのですよ。
ツーリングした後の晩酌がたまらなくてね。
◎、行ってみて下さいね』

また福岡における知見が増えた。

『また◎に止めてるんで、
良ければ乗って下さいね』

またお釣りをチップにし、
後にした。






















数年前某日 東京にて

一時期、元住吉という
武蔵小杉の隣りの駅に住んでいた。

人生の中で体調を一番悪くしていて、
向精神剤を飲み、
スタンディングデスクで仕事をし、
昼夜が逆転していた頃。

元同期で記者のHくんが
渋谷のパブに飲みに誘ってくれた。
そのとき某老舗ライブハウスの方が、
メジャーデビューしたばかりで
大きなステージを埋めた
あるバンドの華々しいワンマンライブを
終えた後だった。
それしか記憶がない。

人生に疲れていた。

渋谷駅で終電を逃し、
23歳無職はタクシーを探す。
終電を逃した23歳無職に
深夜のタクシーの料金は酷く重い。







そこで判断を揺らしていると、
老紳士に声をかけられる。

『タクシーを探されていますか?』

そうです。と答え、
目的地が武蔵小杉の方で、
5000円くらいしますよねと言うと、

『いや、3000円でいいです。
とりあえず乗ってください』

今のように整備される前の
三菱UFJ銀行の前に止まった
黒塗りのクラウンに乗り込む。
若かりしdrowsinessは、
こんな車に乗ったことがなかった。

運転手さんと幾許か会話を重ねていく。



『私はタクシーに乗りたい人ではなく、
乗せたい人を選んでいるのです』




目的地に着くと、
本当に3000円だけで済んだのだ。

『良かったら、また連絡して下さい』

連絡先を渡され、また暗き部屋に戻っていく。
見ず知らずの方からの施しは忘れない。


























某日 東北にて

妻との新婚旅行で
東北を巡っていた。

東北旅行のゴールは
伯母が住む青森県弘前だ。
小学校から殆ど会っていなかった
伯母に会うのが楽しみで
仕方が無かった。




山形から仙台を通り、
少し寄り道をしてピカチュウトレインに乗り、
気仙沼へ向かった。
あの東日本大震災で
最も被害を受けたと
過言でない地域だ。

降りると感じる愛嬌ある駅舎を潜り、
ぐるっと気仙沼を巡りたくなり、
駅前のタクシーに乗り込んだ。

東京から来たと告げ、
宿泊の有無を問われ答えると、
気仙沼でどんな街を回るのがいいかを
丁寧に教えて下さった。

その流れで

『良かったら、
僕らの気仙沼の観光の
ドライバーをして貰えませんか?』

と尋ねると、快く快諾頂き、
街を案内して頂いた。



2011.3.11
テレビの生中継で見ていた気仙沼。




街はどこか無機質で、
まるで新興住宅地が成り立つのか
ならないのかの分からないほどに、
時折現れる無区画を見る度に、
人間の空気を感じなかった。



人々に代々伝わる避難場所の丘。
人々は代々の教えを守り、
その丘に避難した。
しかし、未曾有の津波は軽々と丘を越えた。

粉雪が降り頻るその丘を、
記念館から見ていた僕は、
何かに憑依されたかのように、
じっと手を合わせ、
その先を見ていた。

感情の感傷性の解像度も
限り無く上がっていた。

時間になると、
運転手さんが迎えに来てくれ、
市場にランチに連れて行ってくれ、
駅への帰り道に、
僕の想いに言葉を添えて下さった。




『また津波が来るかもしれない。
でもこの街には海と一緒に生きて
地元を守る覚悟がある。

だから高校進学で人気なのも、
普通科ではなく海産学校です。
みんなここから離れたく無いのです。』

地元意識が軽薄になり核家族化が進む今。
より結束が深まった街の強さに 、
ただただ感服でしか無かった。

気仙沼の駅まで送って頂くと、
僕は今まで払ったことのない
謝礼をお支払いした。

この気仙沼での出来事は忘れない。
今まで何が起きたか。
これから何が紡がれていくのかも楽しみだ。






某日 福岡にて

自宅にタクシーを呼ぶときは
緊急時と出張時。
妻を途中まで載せて、
天神まで向かう目的。
久しぶりに女性の運転手さんだった。

『私、この辺りが不慣れでして、、』

全然構わないですよ。
気にしないで下さいと伝えると、
自然と会話が始まった。

そうすると、神奈川から来た料理人の方を
糸島までツアーガイドされて、
逆に運転手さんが
神奈川の料理人さんのお店に
食べに行ったという話に
途轍も無く驚いてしまう。




僕も東京から来たと伝えると、
最近あるテレビ番組から
取材を受けたと伝えながら、
今まで聞いたことのない
お店の数々を教えて下さり、
とんでもなく話が盛り上がる。

目的地に着く前に名刺を渡され、
『また会うと思います。
直感が当たるので』
と言われ、
その場を後にした。






翌日、ゲリラ豪雨で博多座から帰る最中。
山笠祭もあり、タクシーが捕まらない一時だった。

ある場所で雨宿りをし、
『ビニール傘は買いたくないからタクシーか、、』

と思い、タクシーを呼ぶと、
比較的すぐ来て下さった
タクシーの運転手さんが、
2日連続で同じ方だったのだ。




『お互い色々な逸話はあるし、
苦労はありますが、
それをメディアに晒さないことに
良さがありますよね』




その後、とんでもない笑い話を聞かせて頂き、
チップを払わせて頂いた。

引き続き、メールでやりとりさせて頂いている。

タクシーの一期一会の深さ、
心から感じてしまう。

皆さまは、どんなストーリーを
紡がれているのか、
いつか聞かせて頂きたい。