「Our Madhyamā-pratipad is Everywhere」
座標を急速に移動させている。
香港と中国を経て、
福岡から大阪へと降り立った。
大阪は前述の通り、
伸びやかに過ごすには
娯楽と余白が適度な均一性で紡がれており
福岡と東京の家族洋式解釈での
オールタイムベストプレートの
ように擬している。
最近は見事なまでに
あまり誰にでも会いたくなく、
不可思議な程に
『利己的な余白』を定常的に欲している。
内なる声に順ずるとでも
言えば良いのだろうか。
眺めている景色へ目線を
混凝土の構築美式にに沿わせ、
比較的な朝側との大多数の規律行動とは
真逆のタイムリープを用いて、
零を感じている。
最近はお酒に全く興味が無く、
暇つぶしにお酒という選択も
存在しないので、
完全に趣向品という佇まい。
そのため、自分の感傷具合に沿う
ワインを選ぶように、
その具合を分かち合える方との
マリアージュが大切となる。
マリアージュ出来ない方が
嫌いなどという無名の高貴な主義を
高らかにすることは無い。
とは言え、折角の時間は
出来る限り良い時間が良い。
1人でマリアージュを成立させるのも良い。
余程のコトが無ければ、
1人でも飲まないが、
礼節を弁えた上での優しさが改竄し、
あまり話しかけられずに1〜2杯で
喫し済ませられるのは理想。
ダラダラと飲むのも慣れ合うのも苦手。
Reframing Orpheを連想し、
感覚的に周りの声のトーンを
意識的にキャンセリングする。
時折、キャンセリングが分裂連鎖。
アブストラクトキャンセリングが
結晶体のように
攻撃的な表層の奥底に見える
強がりな良さを
真軸で受け止め寄り添う。
時点の座標を大きく推移させる。
大阪から東京は比較的近い。
しかしカルチャーは大きく異なる。
西と東の対局対位は見事で
キッチュなレイヤーを連ならせる。
CPUを人的PRAMリセットを
作用させる際は15〜30分。
そこまで時間のかかる
アナログな体内設定構図は
日々細かな【やり方】を凝らさねばならない。
ストレスにおける
緩衝用サスペンション構図立式を
経なければいけないことと模する。
最近は比較的扉を開けている。
その扉に入る人がいない。
諦めて、『盆地へ降りる』本日を閉じた。
サスペンション構図を
レトリカル解釈にし
錯綜される冥利は
即興芸術に似ている。
盆地へ降りることをやめた民は
200色の白旗を掲げ、
200色の言い訳とレトリスクで正義を律する。
果たしてその200色の多数派は
『限りなく今都合の良き
マジョリティな烏合の衆』でしかない。
マイノリティが正義だとも思わない。
全ては時間が定義していく。
粒立ち粗やかなダイナミクスも
時が慣らしていくのだ。
マイノリティとマジョリティにおける
中道的なマイノリティで居たい。
皮肉にも、アンケートには
『はい。いいね。そうでもない』が
あるにも関わらず、
概念趣向には『そうでもない』という
和の美徳が改竄しないからだ。
結果的には分かり合えないのだから、
マイノリティに居たい。
しかし、マジョリティが揺蕩わせる
感動や感情、美徳の素晴らしさへの
寄り添いよる大衆迎合の集大成における
エンターテイメントだから
感情の熱狂や錯乱を
超新星爆発させるのだ。
その粒の一つに成りたい時もある。
熱するCPUを鎮めるためのオルフェを求める。
今のベストなマリアージュを欲し、
相応かつ予想を超える
幾つかのマテリアルを探しに行くのだ。
その土地の今のオールタイムベストに
適度や空間余白を含ませて。