「The Emerald Beginning of Qualia Slope Part.1」
比較的まだ暗い空。
いつもと違う箇所での就寝を経て、
クオリアは起床する。
早朝は清とし、
何も音を立てない
有限な4分33秒への
支配の満足感は
何事にも変えられない。
普段見慣れたクオリア坂も
未だ起きていない。
空の微睡みに自らを擬態化させ、
あたかも存在していないかのような佇まい。
その時間でもクオリア坂を降りる人は時折。
用心を欠かさず、懐中電灯を用いる人も居るが、
殆どの人々は、
体でこの坂の形状や質感を知っている。
しかし、念には念を欠かすことは恥ではない。
クオリアはどんな朝を迎えるかを周到に考える。
起きた時間によって、
何が最良の技法を
迎えられるかを考える。
朝という薄く淡く繊細な粘膜を表面から
両手で救うかのような時間を
いかに大切に出来るか。
ここに全ての1日が架かっている。
クオリアも朝における多数の系統を持ち、
常に分岐している。
定められた位置にある
飲み物の隊列の左手から水を取り出し、
使い慣れたBODUMのダブルウォールグラスへ注ぐ。
比較的身勝手に置かれたグラスも、
朝のある時間だけはキッチンの片隅で
ある種の工業製品の規則性に沿った
満員電車的なストレスとの退治が
定められている。
しかし、彼も並ぶと決められた
規則性は心地良いはず。
習慣化すれば何も違和感がなく
「ソレが無ければ」
朝から期限が悪くなりかねない。
彼の役務は1杯分の水を
クオリアの体内に届けること。
今日も難なく役務を終えた。
クオリア坂も今日も徐々に
形を鮮やかにしている。
耳を澄ませば、
クオリア坂から季節の音(Ne)が聴こえる。
それがヒーリングミュージックに成り、
サウンドアートにも鳴る。
そこに人工的な雨粒を局所的に粒立たせる。
そして水粒から数色のフレグランスカーテンを
成立させる。
香料から成り立たせる
調香師のような技法も役務の一つ。
螺旋階段を通して、
温度ごとの熱に
カーテンを乗せては消えていく。
クオリア坂を人々が駆けていく。
タイムラインな規律性に
バスの音と放送が聴こえる。
そして螺旋階段を
誰かが駆けていく音も混ざり、
コラージュする。
キッチンに戻り、
ウォールグラスに2つ目の役務を与え、
氷に炭酸水を添わせた
水のレイヤーに美を感じることもある。
これは非常に贅沢なことだと考える。
前から思っていたが、
親戚が働いていた会社の系列が出す
炭酸水は妙な美味さがある。
ふと思った事象を誰かに話せば、
それは迷うことなき事実だった。
日に寄って変わる気分では、
アイスコーヒーを添わせることもある。
クオリア坂を降りて、
「誰と いつ どこで 何の」
コーヒーを飲むかを周到に考えなければ、
全ての調律が台無しとなる。
その基準値となるコーヒーの選び方を
繊細にならずは居られない。
よく考えてみれば、
街に溢れたコーナーショップで
適宜買うコーヒーは、
どういう算術を用いても高価で贅沢品。
ファストファッション化したコーヒーよりも、
自分で用意したボトルに
コーヒーを持ち歩くのが良い。
そんなことを考えながら、
どんな場所で理想的な
トアルコトラジャや
ゲイシャを喫するかを想う。
電気を使わない作業場へ、
クオリア坂の光が入り、
デスクが照らされ始業が近づく。
人々も装い清らかに就へ就くのだろう。
そんなことを想いながら、
決められた席に就く。
そして、今日のクオリアを密かに待つのだ。