2026.1.14 Vol.71
「The Emerald Beginning of Qualia Slope Part.11」




タイムラインは推移し、
44.23.44.42の不可解な8桁を刻む。

8の産む∞は218兆通りの
細胞分裂の果ての限りない1を刻む。
制御出来ない機械式数乱は、
定的な工業譜では組み上げられない妙理。

没入的な付加式は典型的な
エルトラ・トラコへの
ゲシュタルト的没入を炸裂させ、
周囲の不感湯気とシグナリティな
「Wai」のマリアージュな危険に
アルコールも見てみぬ罪を企てる。
自然光による由來な暗転が、
より高鳴りを連ねていく。


ブルートフォースアタックという「定義」を持ちかける。
答は無。
イマーシヴな刹那的ファイアウォールを
越える倫理観が試される。

現実へと揺り戻されるのは
シグナリティのWai。













WaiWai piʻo kīkī
















颯馬の如く駆け抜けなければならぬ
初手の信念指針は悉く儚い。
去年末を境に、
所謂人が無造作に流れていく細脈路へ流れ行く、
由來な水脈の動きや自然的迎合を
全く好まなくなってしまった。





自らのクオリアの最適純化には時間を要す。

擁する静律の譜藻は
人工と科学、天然の冥利な塩梅を
幾多の縦横軸の多層へ置く
自然光の小影に曝される。






定期的な秘なる内外調律は細かく行う。
人々が見ない箇所を著しく気にし、
細蓮の先が見え、
マジョリストが正解とする
限りない答が見えなくなる。

ルーティン連符のその先は
何時でもランニングハイを迎えがち。
その先を越えると、
同じ所作から霞見える丘が続いていく。

他人には笑われ驚かれ面白がれる日常となれば、
他人からすれば驚喜。
しかし我からすれば著しい日常。
最適化された人生のクオリア妙塔。





当人はただ歩き続けている。
気付けば周りに誰も居ない。
その意味不可視な世界は
至極私的内的なモノ。
誰にも誇示することない
内なる白昼夢とホワイトアウトが
攻め合う最前線。

本人のタイムラインは限りなく早く、
手前のタイムラインは遅く、
時雲群としての大多数的体感は限りなく
瞬時に落ちていた事後に多感的に高鳴る。
































元々笑われ続けた喜劇。

人を笑うことが出来ない。
自らが惨劇の加害者に成りかねないから。
誰からの擬似的な共感は些細な程痛く感じる。

そもそも会話における温質層の具合で分かるのだ。
個性の矯正に科学的な名前を
付けられることで強制的暇へと置く人々。
分からないと正直な理解の明文化開花が
世に起こることを仄かに願う。
結果的に何もかも続けなければ、
目尻を中心にした
視界の中域的な筒状のスコープへ
身を投じる状況への
イマーシヴへの主たる実態理解前提での会話はない。




悴んだ手を見えない冷凍の無線網に
先んじて晒して前を進む。

其処には前述のような雑念の雲母が
快晴の度合いに関係なく際限無く訪れる。

人々と擦れ違いを合法的に気持ちよく交わせる
ランニング・ウォーキングは
胸部の骨縁の心臓へシグナルを飛ばしつつ、
その先に行くことの心地良さを常に教示する。

この心地良さを世界の何処かで
分かち合える人か概念を常に探している。
そういう契機は常に謝辞が尽きない周囲が齎す。
昨日のコトも然程思い出せなくなる
自らの脳機能も日常を巡りめく。










































前述「視界の中域的な筒状のスコープ」から離脱。
頭の中心から広がるように
現実へ湯冷まししていく。
体内からの呼吸の波形は暖かく広がる。
敢えて水分を抜き続け、
乾ききった体内に別の充実を富ま含ませる。











































ふと記憶の写集棚をぼんやりと眺めると、
筆者の著しく努力へ怠惰に向き合う
義務教育期の存在の在り方が定義されていない
青春の利己的駄解釋をした自分が居た。


彼は人々と同じ時間に努力をしたとは言えない。
時を経てシーンで多大な活躍をした人は
皆見えない努力を惜しまなかった。
そしてチャンスを掴み、
皆に「表層的」に疎まれたのだ。
最後の最後で、彼は最初で最後の
「定義上・違和感はない比較的マジョリティ」な
ホームランを打った。
ホームベースを踏めた彼は、
ホームランはこういうものなど知った。



比較的感度を冷ますための
レモネード気味の気泡酒を飲みながら思う。

些細な成功体験に浸り続け不謹慎な
Agra(怠惰)に浸れば、酸化も深まる。
酸化が進み、駆逐され廃れた
肯定(校庭:等しい言語「Scene」)。



もう誰もいない。



概念における散骨が
されたことすら誰も思い出せない。
荒れ荒む場所に水を撒こうなどという
心的余裕がない皮肉な世論。



ランニングを終え、
44.23.44.42をまた眺め始め、
218兆分の1の自分に居ることが出来ている。

限りなく些細な幸せを枯らさない人々が
今最も秘なるWaiWaiが
富む幸の源泉なのだろう。

私的な泉のクオリアを
枯らさぬ人々の営みを何時か覗き、
今迄何事も無く旧知の親友のように
非言語で分かち合いたい。