「The Emerald Beginning of Qualia Slope Part.13」
今日も7amのやや恍惚的燦々とした朝を迎える。
空はKusumi(仮定同義: ネロリ)のある朝が
非常に望ましく、
焙煎した珈琲豆をサイフォン原理で淹れる所作と
近い愉しみ方なのかもしれない。
しかし、人々が喪に服しがちな趣向を好む
冬という隊列的解釋と、
並列して起こるエコノミクス。
人間環境的なナラティブなエルゴノミクスには
酷く盲目になりがちなのだと思う。
そして向かう先は真逆。
多くの通勤時間が最も孤独なのだ。
忌み嫌う憂鬱さを
炭酸水で体内の不純物と共に洗い流せば、
潤たるクオリアの立式が建つのかもしれない。
「Pelopsia」
Pelopsiaという概念は
比較的生活に馴染んでいる。
所謂「不思議の国のアリス症候群」とも比喩される。
遠かった距離が途轍もなく
最至近距離に物質や感覚が
接近している場合がある。
「リターントリップエフェクト」
1日の経過は非常に長く、ほぼ均一に
10:00~12:00に全ての決められた役務が終わる。
そこに最近は仮眠を役務による
デザートとして添える場合がある。
しかし、その1日が連なった1週間後は
前述の各日を酷く遠い向こう側に感じる。
大まかなことは記憶描写としてある。
忘れないように些細なことも日記を付け、
言語で事象サマリー群から
出来事を隠語(ショートカットキー)で
引き出すようにしている。
リターントリップエフェクトという事象や
意味を逆にしたモノが適切。
先人たちが言う人生の速さとはこのことだろう。
何かや何かにもう諦めとお別れの整理は
付けなくてはならない。
「追憶」
ある時、整理されていない
沙汰な追憶のタイムラインを探索する。
綺麗に一部や大切な何かを
忘れていっている。
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「Run Thought Yesterday
:上記を錯誤させたクロノスタシス」
乗り越えようとする時間は酷く長い。
駆け抜けていった昨日の残像は
甘く微睡んだ君を横目に残す。
瞬時に目が合った、
見られていると察した人々を思い出す。
並列して楽しい時間の刹那も
そうなのかもしれない。
記憶が前述引用「Pelopsia」として
記憶という概念が
抽象的に歪曲し輪郭形を無くし、
止めどなく消失していく様は、
記憶の代謝(後悔再現性無き無痛)が
起きているタイムラインを刻む。
伝えたいことなど、ほぼ無い。
元々其処まで解り合えない難儀を
繰り返す煩悩への枚挙に暇がない溜息。
人間という物体や作り出す現象も
殆ど下らない。
綺麗に諦めてしまう自尽。
概念的な受け入れの抵抗はあるとはいえ、
意外と煩悩の炸裂の矯正を
留める手段として最良なのかもしれない。
近づく春。
増える訃報。
以前より増えた哀しき報道。
人々は日に増して様々な経路で
黄泉への旅路を選ぶことが増えている。
パスポートの要らない旅路。
しかし、法的パスポートを取る人々は年々増加。
しかし残された人々の遣り切れない想いが
滞留する出国後。
其処で残りうる概念とそうでない状況が
大区分として存在。
今日は何処に出かけようと思うのだろう。
春隣が囁く別れと旅立ちは
新しい出会いによる
多幸感で相殺感情合わぬ現状。
今日も生きていられる
当たり前に感謝している。
僕は何時でも翌日そのまま起床しないことも
常にシナリオに置いている。
誰かの為に、僕も幾ばくかの蓮束を
渡さねばならない。と。