「The Emerald Beginning of Qualia Slope Part.17」
数日冴えない不出来な睡眠と関連した
幾つかの事項により体調不良。
数年振りとも言えるほどの
見事な仕上がりの不定愁訴。
夜という時間、特に普段目を覚ます
4:00am辺りは特に気持ち悪さの淀みを滞留させ、
胸居の煩わしさは耐え難いものがある。
「実は僕も体調が優れないことが…」
時に医師とクライアントの
立場的座位が周天することがある。
僕も落ち着いて「クライアント」に彼に寄り添っていく。
其れは密室でカルテ無く行われる。
そして、密かで暗号的な心理的文通も行われている。
僕が影響を受けているモノは文学では無い。
乱暴かつ五月雨にしない内的かつ慢性的な夕立。
別のテーマとして、
今迄何人を見送ったのか分からない。
そして、ある時を境に連絡を録らない
(フェードアウト)ようにする。
精神的依存が頓服や常薬よりも
酷く中毒性のある依存だからだ。
然し、心理的な事情を過多に受け止めすぎると、
自分の内的事情の自調律性を
結う時間の計算が出来なくなる。
ある時、ふとデジタリティな文章による
調律を望むときがある。
残念ながら、デジタリティには
過度なジャンクフード的な味付けは
体に凝りを遺しがちなのだが、
アンビエントな文学が
ほぼ存在していないということ。
其れはBrian Eno氏を想う文章を
書けばいいのかという平均値な安直さではない。
自身の感傷性が高い時に寄り添える文章という
義である。
何時もの半身炭酸バス交代浴を終えて、
直ぐ横の書斎へ速やかに移動。
春めいて来た朝の横陽が
優しく白を貴重にした書斎へ優しく降り注ぐ。
インターフェイスのVolumeも
比較的心地良い時間に向けるようにしている。
世の中に於けるニュートラルの難儀….
定期的に生活様式をかなり極端に変えてしまう。
あれ程好んだホテル暮らし、
遠方への移動も想像以上の心労。
部屋のグレードを上げれば良いのかというも
並列して同上。
年末かなり長く東京に居た。
其処でもう自分には今然程東京という成分も、
態々、人に会いに行くというのにも、
取り留めのない徒労に苛まれる。
馴染みのある場所も多い東京。
残念ながら、
東京を奥に追いやるポジショントークと思いきや、
福岡でも同様に人混みに行くのを好まない。
不思議なことに、平日を土日のように過ごし、
土日を平日のような行き方にしてしまうと、
もう然程欲しいモノが
無くなってしまった感覚にもなる。
気付けばメールに返信も出来なくなっている。
前はメールが届くことに嬉しさがあったのだが、
今はeメールとショートメッセージで
やり取りする人々へのアンビエントが心地良い。
SNSはもう1週間近く見ていない。
人生で初めてなのだが、
未読スルーとスタンプのみの回答、
準じて返信出来ないと
返答することに慣れだしている。
人間不信ではない。
クオリアの比率の変化を診ているだけだ
其の上で、
僕の曲や何かも知らない人間が、
「最近の活動って何かあるんですか?」
と聴いてくる愚問への苛立ちの粒立ちを想起したら、
もう外に出ようと思わなくなる。
只でさえ、
会う人を極力相当限定しているというのに….
そんな人じゃなく、
僕のフォロワーに見せたいモノ、
聴かせたいモノはそれはうんと有る。
其れを見せられない居心地の悪さもあるのだが、
自分を待って下さっている
リスナーや当読者からすれば、
僕の諸々の更新頻度が
多いことには気付いて下さっているだろう。
「気付けば、
まるでヨーロッパを経た
海外アーティストのようですね」
今のdrowsinessをよく知る
友人から言われた一言。
人と恐ろしいほどに
距離を執る僕はそうらしい。
類似の言葉を
先輩アーティストからも云われたことがある。
ノーコメント。
元々何処かに属することに
アンビエントを感じたことは無い。
自らが奏でるモノもアンビエントだと
思ったことも無い。
然し、自分がアンビエントという
環境学に酷く過敏なのは
避けられぬ内外相互理解。
Podcastでも「たかが業界」と
言っていることを敢えて強調するが、
付随してSceneにも派閥にも
マジョリティにもマイノリティにも
本当に何も興味が無い。
彼らを否定して律する
戦争美学なんてものにも何も興味が無い。
誰もが通る義務教育の時代で
定義するのであれば、
誰にも相手にされないことが
当たり前だということ。
その時に何も云わずに
寄り添ってくれたのが文学や書籍。
小学生の頃に最寄りで購入した
海辺のカフカの新書を読み、酷く悟る。
「この義務教育にもテストには何の意味もなく、
偏差値崇拝で図られない何かがある」
それから綺麗に学校で起きる
ほぼ全てに興味を持たなくなった。
その状態を思い返すことが
自らへの初診と察せば、
今も然程大差が無いと想う。
只、集団生活というモノが
酷く病的に向いていないだけだと思う。
書斎にリナーリを四方に振り撒き、
何時もの冷えた炭酸水と
水出し珈琲を並列させる。
毎朝確認する各所の
レポートとBlogを丁寧に見ていく。
今日も自らが変わらず卑屈な人間だと理解する。
其れへの諦めも変わらず持ち合わせており、
2軸の未草を愛でる程度の寛容性はある程度だ。
今日も書斎に臆し、
俗世へ避役出来ているのならいい。
仕方なくいつもそう考えている。