2026.3.17 Vol.82
「The Emerald Beginning of Qualia Slope Part.20」





クオリア坂は変わらず静かで
穏やかで滑らかな時間の旧譜を結う。

しかし僕自身の疲労は
中々なモノで紛うこと無き滞留を込め続け、
活性酸素の山積がどれくらいかを算出出来ぬまま、
クオリアの逆対軸となる負の妙塔を積んでいた。

想像以上の塔から降りてしまうことは
非常に容易なのだが、
負の河原での鍛錬も然程悪いことはない。
然し先行きが見えないという意味で
グレーイッシュアウトしている。
















































ふと書斎からの書窓を眺めると、
ブラインドされた「ヨコシマ」な景色から
現実が見える。

向こう側で何事も無く起こる
Ordinalities・Obviousの連なり程度で程良く、
自宅に鎮座する30種類以上の
厳選された飲料群を対することで、
ある程度、僕の朝が担保された気すらする。

気分で使わない香水を胴体中心に纏う。
就寝時のCHANEL エゴイストプラチナムの
心地が気に入ってしまい、
書斎の中での香の三重奏の重なりは
程良い心地良さがある。
近年由來の過度な「香害」「スメハラ」への
配慮を無くせば、
書斎だけは現実的な宇宙の弧を
描くことが出来る。


僕の知りうる限り、
著名人と呼ばれる人々の
オーラの主成分の一部に、
一般人が纏う以上のパフュームの合奏が
織りなしている構図があることも
比較的相違はないと感じる。
一般人の数倍〜数十倍は付けていることだろう。


とはいえ、自分自身が
其処までの香りを纏いたいかといえば、
fl ozというビジュアライズで選ぶことも暫し。
然し、オードトワレ程度の存在感で比較的良く、
ソレ以上では渋く重たすぎてしまう。

出張時はオーデコロン〜オードトワレ程度で
留めておく。
所謂分かりやすいブランドで
好ましいモノは自宅用、
外では少し判りにくいエッセンスを用いる。
雑踏という柵の中にまで、
自分が誰かに何かを合わせようと思わないからだ。















Is Here … someone …?

















Nobile : Tamburoは憚られる昨今。
募るActivated Carbons。
認めたHomophonieに
仄かなSolitarioが程良い。
過度に欲してはならぬのだ。

気付けば、ふとした刹那でまた春で澄んだ
賽の河原を渡る人々が増えてしまう。
準じて黄泉を身近に感じるペールエールな
グレーの羽衣へ体を埋没させてしまいがち。


何かに知られる為に此処に来た….?












現で掴みかけた金貨を探しに2次元を彷徨う。
確かに在った手元の感触を
別次元で探すのは難儀である。
記憶の断片(Ghiacciolo)群を
昇り降りした挙げ句、
それは知っていた上での徒労に終わったのだ。

そして現実に於ける電磁帳簿から
電子硬貨が消失している。
現のGhiaccioloを駆け上がった代償は
想定以上に大きい。
損失体感はテラ未満で
済むことが無かったのだ。





ふと書斎と現の境のブラインドの光は
仄かに書斎を包み込み、
時間を仄かに込み上げさせていく。

僧のような数分の超冷却な冷水崇拝にて、
ヒト由來な様相へ引き戻される。
また仄かにバス停の発着音が粒立ち良く聞こえる様。

ニュートラルを感じられる君(Cuore)は、
然りげ無く横に居た。