2026.3.27 Vol.84
「The Emerald Beginning of Qualia Slope Part.21」

クオリア坂を少し離れた
次点に居る生活に熟れた昨今。

Qloが書斎の椅子の背中に
柔らかく軟体後座する図式にはまだ不慣れ。
普段書斎へのフレンドリを
保たない自らにとって唯一受け入れる来訪。
人的な来訪者に対しては、
比較的まだ珍しさが仄かに残っている。












久しぶりに座標をより次点へ移動させる。
最近はタクシーでの移動が増え、
数分の移動の積み重ねによる
余暇の拡張に務めている。
熟れた4時間の移動。
東京が地元であり、
2年前までに住んでいたという気持ちが
遠くに薄れている。

今は福岡での生活に
充足満たされているのだろう。
何となく知っているし、
道には迷わないが、
何処に居ればいいのかに苦慮しているジモトは
余所余所しさが後退る。




熟れたホテルにチェックインすると、
細やかな持て成しなのか、
部屋がダブルベッドであり、
普段以上の広さを感じる。
ミネラルウォーターも2本在った。
日に日に増えていく5大都市での
面会や会食の相談は全てメモし、
放念がないように記録しているのだが、
勿論全てに直ぐお答え出来る訳ではない。
優先順位を付けている訳ではない。


強いて言えば、今最も東京に居る時間が
愉しくない時期であり、
誰も何も知らない場所、
静かにしているのが好ましい。
行きつけのお店に配慮させてしまうことも、
過剰に気を遣われるのも非常に困ってしまい、
些細なお心遣いを頂く方は
個室を選んで下さるのだが、
いざそういうお心遣いをされても、
デイリーユースならそこまで拘られる程の人間では
全く持って無い。
ニュートラルが特別な場合は困るのだが、
N曲は常にローギアにしている。

ただ、東京で唯一愉しいのは食と買い物であり、
何気なく詮索されない程度に
会ってくれるヒト程有難いコトはない。
知らないワインやカクテル、
感性の探索に此処は面白い。
でも基本的に「オヒトリサマ」が好ましい。
特にライフスタイルな会話をして下さる方々への
謝辞は尽きない。

かつ心底途轍もなく底しれぬ
胆力を持つ方との会話の
速やかな富の共有は愉しい。
感性に於ける不感湯。
物理的に誰が入ったか判らない
大衆的な湯船には
この人生でもう入れなくなったのだが、
シミュレートなら丁度良い。






日頃から「マジョリティで理解されよう」
という意識は烏滸がましく捨てている。

その文脈の一途に
「エルビス・プレスリーやジョンレノン、
オードリーヘップバーンですら
嫌いな人間が居るのだから」
と置く。

そう考えれば、僕に関心があるヒトなど、
1割もいれば多すぎる。
自分が理解されないと相談されるコトが
東京で多い気がするのだが、
当人が「東京で生きる自分」に活かされていないのだ。


ある意味、「カノンコードを仄かに纏うまな板の上の鯉(アントニムなシュレディンガー)」なのかもしれない。




「もう、全ては半世紀前に大抵終わっているのだ」






とは言え、南青山での時間は愉しい。
特筆して、文筆家との
「何を書いているのか判らない状態」での
空想工学な会話の育みは
癖になって仕方がない。

そのカノンを追随するなら、
次に住むなら青山がいいかもしれない。
でも、タイムパラドックスが突如隆起し、
バブル絶頂期の時なら
尚良かったのかもしれない。
然し、僕はブラジル解釋で
ブギー・バック(現実からのセルアウト)するだろう。


今はコマーシャルを課金によりスキップ出来る時代、
情報をカクテルセレクション叶うが、
当自体は皆がブラウン管の向こう側に
憧れ暮れ泥む刹那と推察。

環境の真理が絶え間なく循環しているのだ。

そして膨大で錯乱された時間の中で、
熟れたバーで何かを待つのかもしれない。
其処で偶然再開したときの
盛り上がりの高揚や沸点を懐かしむように….





人々は日進月歩と急激かつ饒舌な不
気味の谷を駆け巡っている。
成長との共存に連れ歩むことを
望んだ何かに首輪をかけられている。
彼らは酷い様相の延命や発展を望むが、
不要不急の延命にリアリティは無い。

プラスティックスマイルが富み続ける。

予期しないincidentと
揺らぎの螢火が消えていく。


空が飛べないくらいの人間が
丁度良いと心底思う。
人々は過剰なまでにモノや欲望を
欲し過ぎている現実にカニバリズムを起こし、
自滅する転落が綺麗な行く末として、
然程遠くない場所に有るのに…




最近、年甲斐もなく「パフェ」
(皆が知るアレではない)
を摂るのが好きだ。

大人になり、所謂些細な贅沢として、
注文する「パフェ」が良い。
「パフェ」を摂りながら
会話をするのはとても愉しい。
久しぶりに見つけた
自分のアンビエントラビリンスなのだろう。






自らがアラートリマインドした、
東京での過労気象予報を
予期した動きは酷く「お節介」だったのだが、
年齢を重ねることによる予防線は
絶え間なく琴線間際をクオリアな敏感にさせる

東京が後退りするように、
東からオルタナティヴなカノンを放つ。
そういうテレパシーは嫌いではない。

ただ、もう其処でも今居るクオリア坂に居ても、
「ハミを噛む」ことは、

著名人の記者会見での常用句のように、
記憶には無いのだ。