2026.4.21 Vol.88
「The Emerald Beginning of Qualia Slope Part.24」




香倉を越えようとしたクオリア坂。
天候以上に重雲。自分にだけ見える責務。
答に應えるのも人生の気難しさなのだろう。
無法地帯とも言える裁量制とは言えど、
要らぬ算出さえしてしまう。

今日、初めてインピーダンスを越えて、
秘密裏に筆談。

意外と驚かれなかった。
それだけで現状想起出来ない
幽かな時楽が育まれた。

勇気を少し出して、
数少ない親友にも伝えてみる。
「またまた」と言われつつ、
あまり突っ込まれなかった。
もう一人の親友は「急いでる?」と答えた。




ソレを伝えた夜だけは酷く重苦しかった。
そのタイミングでmousikēのお告げが来る。

早すぎるのでは….?

何処でその異国からそのシグナルを感じたのだろう。




空だけはずっと比較的明るく居てくれる。
今居られる空虚に
身体と私心の乖離を埋めねばならず、
空が暗くなると、
気を失うかのような一夜を欲する。
先代のようなアルコールに
逃げることだけは避けている。


唯一答があったのは、自分が想定外の道であった。
合法的で折衷的介錯を
合致させる方法が
介在していることを探し出せただけ、
自らが大人になったということかもしれない。
綺麗に何も傷つけずに、
何処かへReplace出来る様は見事。



こういう日の夜更かしを楽しめるのなら、
悪くない。
明るすぎるブルーライトが
妙な高揚感をハレーションさせる。

























そして、10年前の今頃を思い出して、
少し楽になる。

色々と思い詰めた某冬、
駆け込まれたコンビニ。
あれから一切牛乳は飲んでいない。





もう戻らなかった。
僕ももう戻らなかった。
そして、もう戻れなかったのだ。

迷いを享受し続ける。
そして見事で下らない原点回帰をしていく。





一度消えた創作意欲に付帯する活力。
其処から少しずつ積み上がっていた。
駆け抜けていった10年は
無様ながらも僅かな潺のようだった。


今、創作意欲は最も有るだろう。
何時までも新しいアイディアは浮かび続け、
頭で書けない譜面を描いている。
然し、描くための環境が無くなった
ディストピアを描けるのだろうか?























そして、此処から5年をどう見ていくのだろう。


クオリア坂は何時迄も有り続けるのだろうか。

僕は居続けたい。
其処を通る通学生がふと大きくなっていく様に、
春夏秋冬が巡りゆく様よりも、
大きな付点を感じるに違いない。

揚羽を見て本当の季節を感じ、
頭では季節外れの蜻蛉の揺蕩を浮かべている。
書斎でスピーカーに電源を
入れられなかったことも暫し。
然し、音に誘われば、
何時までも旋律は優しい。

御節介なヒーリングミュージックでもなく、
利己的なアンビエントでもない音楽だけが
聴くサプリメントになっている。
科学の力学には頼りたくない
揺らぎの力学を律することへの添加は
アンコンシャスが良いスパイスになる。






「凪」という言葉に此処まで救われたことはないだろう。


目で見て癒される言葉。
頭でリフレインさせ続けたい言葉だ。

水景の水面が輝く凪は尊く淡く、
尾を引いてしまう。
この世界から拒絶され、
まるで何も社会に関係ないような
セピアな透視感があるのがいい。



その黄昏に誘われて、
海を見たくなる自分も酷く珍しい。

最近は「日頃の生活に交通機関は無かった」
と思うようにしているので、
電車やバス、タクシーに乗って
移動する世界は、
もう現実でないと思っている。
親に連れられた「お出かけ」という
ニュアンスからも遥かの霞香なのかもしれない














光天妙理へ幽か朧げな木陰へ溶かし切れぬ意識。
他愛も無い日中のサーモグラフィの交信。

異国の鳥が直視する先。
何処まで何を見ているのだろう。
知らない世界も水面のように瞬くのなら、
まだ眺めていたい。

然し、比較的GPSというBeaconを
点滅させる程度の鳥瞰で在りたい。