drowsiness「Liberation」
セルフライナーノーツ
そのときはブラックアウト若しくはホワイトアウトだった。
この「Liberation」をリリースするにあたり、
本当に多くの出会いがあり、
元々知っている方々との距離が
グッと深まっていた。
しかし、その業界や身内との距離感が、
喉元にナイフを突きつけ、
死が隣接する状態になった。
表向きにはDOMMUNEやSuperDeluxe
といったカルチャーを牽引していた場所や
キャパ数百の台湾公演もこなし、
順風満帆に見えたかもしれないが、
それはごく一部にしか届いていなかったし、
その頃自分はアーティストというより、
ビジネスマンだと言う大人たちも少なくなかった。
それ故に自分にアーティストとしての自覚も無く、
徐々に瞑想していき、病院に虚偽の申告をし、
向精神剤を飲んで乗り越えていた。
しかし、この向精神剤による
}「健康の前借り」により、
自分が身を置く世界が
ブラックアウトになる。
所謂、統合失調症だ。
実は大学生の頃に症状の片鱗が出ており、
電車で大汗をかいてグタっと
倒れてしまうこともあったのだが、
自分を偽って上手く乗り越えていた。
今は既にもう寛解しているが、
この症状に数年苦しみ、
多くの人々を巻き込み、
多大な迷惑をおかけしたこと、
憤慨させてしまったことを、
この場を借りて深くお詫び申し上げたい。
謝れるなら、今も直接謝りたいが、
もう会って頂けないだろうという方が
いる自覚もある。
そんななかで今でも絡んで下さる
全ての方々には
本当に感謝でしかない。
全ては肯定できないが、
本当に色々な面にて
恵まれた人生なのだと思う。
そんな体調の中、初めてレーベルから
作品を出す提案を頂いた。
特にアイディアは無かったのだが、
2枚くらい作品を出す余力があるかないかだったので、
満身創痍で中央線に乗って
代々木のゲートウェイスタジオへ通った。
エンジニアには、当時やりとりを度々させて頂いており、
現在活動休止状態になっている
ポストロックバンド「ハイスイノナサ」の照井淳政さんに
レコーディングからミックス、マスタリングをお願いをした。 (今では考えられない、いや有り得ない深いご協力を頂いたことに、この場で改めて深い謝辞を申し上げたい。)
照井さんは「ハイスイノナサ」のレコーディングを担当しており、幾つかのアーティストを担当していた。
その頃、DALLJUB STEP CLUBも照井さんが担当しており、
このジュークやフットワークの音像を自分に持ってきたら
どうなるかという、満身創痍でありながらも浮かべる
イメージだけを頼りに、レコーディングが始まった。
今回のレコーディングではディレイやスライサーのループを
部分的に切り取ったうえで、BPM計算をし、
そこに合わせてエフェクトを重ねたり、
DJプレイのような感じでギターや
エフェクターボードの音色を重ねた。
レコーディングは複数回行われ、
ドローン系の作品とリズム系の作品は別々に録音したのだが、
一切サウンドアートやアート趣向の強い音を
レコーディングした経験が無いにも関わらず、
音像のポストロックなスタイリッシュさに
昇華されている照井さんの腕は
今聴いても「凄すぎる」の一言に尽きる。
ドローン系の作品は意図的にそういう音像にし、
自分の中では中々な消化不良感があったのだが、
その時にレコーディングしたのが、
「Floating on Cloud」や「Obvious Real」「All Done」だ。
「All Done」はおそらく前作の「Dear Vain」と同じで、
アンビエントの枠に留まらない
名曲になるだろうという自覚があった。
リズム系のトラックのイメージとしては
Buffalo Daughterの「Pshychic」のような
ポストロックの要素もあるミニマムかつ
クラウトロックのイメージがあった。
特にWhiteoutは「Cyclic」のサウンドスケープを
強く意識していた。
それもあったため、今ではTakeshi Nishimotoさんの紹介で
zAkさんのスタジオでレコーディングし、
onpa)))))の羽生さんとの偶然なる出会い、
羽生さんの紹介で大野由美子さんと共演し、
大野さんからシュガー吉永さんを
紹介いただくことになるとは、
当時思いもしなかっただろう。
兎に角、何も想起出来ない。闇が深すぎた。
それ故にこの作品のアンビエントなトラックの深さに
闇や躁鬱を散りばめ、爪弾かせていることは
一つの魅力になっているのだと思う。
ただ、当時の自分に伝えられることがあるとするならば、
「その当時の憧れも理想も未来も非現実も、
全て身近に溢れている」
「誰にも理解されない極度のマイノリティ、歪曲した社会における身の置き方への理解者、賛同する方が現れることへ驚き続ける」
「それでもマイノリティは続く。しかし前向きなマイノリティであり、嫌いな身内ノリや媚び、生きづらさ、
その頃以上の孤独さは振り切れている」
「死のゴールが見えた。やっと役割が可視化され、
体現に向け進みだした」
「遠回りは長かった。その遠回りが
全てdrowsinessに体現されている」
こんなところだろうか。
取り敢えず、自殺未遂や死への哲学を膨らませることは
全ての人々にやめとけと伝えたい。
前段がかなり長くなってしまった。
アートワークは毎度お馴染みになりつつある、中山晃子さんだ。
ここから解説を始めていきたい。
「Liberation」収録曲回想
Floating on Cloud
前作「Indifference」から大きく雰囲気が変わり
成長を感じさせる曲。
こういった曲は以前から取り掛かりたかったし、
前作の「Breast to Breast」の消化不良感や反省を
ここに活かしている。
妻の友人から「drowsinessがドラッグをやったような曲」と
言われたが、正直相違はない。
間違いなく抗不安剤や頓服から成る情緒不安さがこの曲の刹那や空虚さを拙い美として成り立たせている
。
今はライブに於いては、自分の憂鬱さや気怠さを
ライブの魅力として昇華できるようになれたことが、
今この文章を見て下さる方々にもdrowsinessの魅力として
伝わっているだろう。
この曲はこの世代のチルアウトの代表格でもある
Washed OutやロシアンアンビエントのNew Composers、
作曲家の岩崎琢さんが時折爪弾く劇中歌における
ピアノアンビエントの響きに感化された。
(という割に全く影響を感じさせないかもしれない。)
この頃のライブから、アルコールや当時合法だった何かで
キメてくる方々からの評判や評価が高くなった体感がある。
トリップ頂くのは非常に嬉しいのだが、
くれぐれも日常に戻れて足が付いている状態かつ全世代合法の
状態で楽しんで頂くことを推奨する。
Whteout
ギターを叩いたり、カッティングしたり、
ブリッジミュートした音で所謂クラウトロックや
ミニマムミュージック、先々のニューウェーブの要素の可能性を多面的に内包した事象へ向き合う頃に出来た曲である。
ループステーションを使った音への
「活きたグルーヴ」への疑心を抱いていたが、
Dusting Wong氏やMark McGuire氏の
ループステーションの昇華具合とは違う活路を
見出さなければ自分の未来は
全て彼らにより居場所を取られると思っていた。
そこへの挑戦の意味合いもある。
前述の通り、Buffalo Daughter「Pshychic」や
Ashra「Sunrain」、デュルッティコラム氏、
MUTE BEATなど多くの音楽に触れ合う機会が大きくなり、
確実に音への向き合い方が変わっていた頃である。
今作で唯一、元メンバーのスズカケイトくんが参加している。
彼のギターはやはりいい。
このトラッククオリティを一人のパフォーマンスで
持って行くことが、途轍もなく難しかった。
何故なら、当時は誰にも相談出来る人がおらず、
俯瞰なんて、とてもじゃなく不可能だったからだ。
曲名は真保裕一氏の「ホワイトアウト」から。
微かに想起されたあの真っ白の世界が良くも悪くも当時の自分だったからで、そのタイトルに深く共感したからである。
ちなみにこの楽曲後半のアンビエンスは、
次の曲「World of Untrodden」とDJプレイのように
繋がるようになっている。
(ストリーミング環境ではそれが再現されておらず恐縮です。)
World of Untrodden
日訳で「未踏の世界」であるこの曲は、
ギター1本で弾く表現の幅の弱みを、
いかにスタイリッシュにできるかということを
考えたことから始まる。
さらにギター1本でこの簡素なトラックを考える人も
いないだろうと思い、「未踏の世界」を命名した。
このアルバムでも特に思い入れが強い。
ミニマムテクノやサウンドアート等への印象を連ねた今曲は、
今聴いても個人的によく出来た曲である。
特に、当時からお付き合いしていた
YOLZ IN THE SKYのミニマムさやライブでの音像体験、
特にTheoremのミニマムビートのサウンドスケープは
この曲へ活きている。
振り返れば周囲の先輩方の人間関係の影響は凄まじい。
この頃から、何人かのアーティストや業界の方から参考にさせて頂いたと言っていただいたり、
「間違いなく参考にされているな」と
思ったりしたこともあることも出てきた。
その中でも、Audio ActiveのCutsighさんのある作品が
リリースされた際に、ある業界関係者から
「Cutsighさんがdrowsinessに影響受けているから
作品買ってみると良い」と言って頂けたことで、
改めて僕のような人間の音にも素直に影響される程に
感性が豊かかつ貪欲なCutsighさんのお人柄も
含めて好きになった。
キックの音はジュークやフットワークと同じ音色を選んだ。
勿論、ギターを叩いた、僕のいつもの曲である。
After the Liberation
アルバムタイトル曲に近しい曲。
DJプレイのようにBPMは同じで雰囲気が違う爽快感があり、
軽快に進んでいく。
メロディックパンクのエモーショナルさとビートの躍動感から
ダンスミュージックを想起させる。
実は高校生の頃から非常にメロディックパンクが好きで、
日本ではAIR JAM世代やそこから派生した次世代シーン、
海外ではDead KennedysやALLを筆頭に
吉祥寺のToosmell Recordsの特典で付いてきた
海外アーティストのミックスCDがとにかく好きだった。
特に地元八王子の当時のパンクシーンの影響は凄まじく、MUGWUMPSやLACK OF SENSE、特にDOLCEには感化された。全世界を網羅したかのようなゴシック・ロックから
ノイズまで網羅していた八王子のカオスなシーンの価値観が
今を成り立たせている。
異なるヨーロッパの音色も非常にエモーショナルさを
感じることが多い。
そこを理解し出したことから、
メロディックパンクに影響を受けたことを
カウンターカルチャーとして恥じることなく
出すようになれたことが、この曲の大きな印象だ。
Obvious Real
日訳で「只の真実」。
当時Vampire Weekendがリリースした
「Modern Vampires of the City」の1曲目「Obvious Bycycle」の
曲名がモチーフだ。
この曲も某レーベルからリリースするために作成した
ギタードローンだが、当時アンビエントと呼ばれたり
括られることに非常に嫌悪感があった。
そのなかで自分らしさを考えたときにダブや
サウンドアートなサウンドスケープを簡素に奥行きで
表現したかった想いが、この楽曲に寄与している。
この頃、汚れた人間たちを通して淀んだ濾過された
自分の真っ直ぐさが汚れてしまっていた。
自分はただ真っ直ぐ音楽をやりたかったのに、
誰からも見向きもされない。
自分を罵り、蔑んだ目で見た人たちの言葉や視線が
頭の中で常にリフレイン。
益々自分も業界も周囲も何も信じられなくなる。
音楽を聴くこともSNSを開くことも苦痛だった。
ただ自分が聴きたい音楽をやりたかっただけなのに。
その想いが爪弾かれたこの曲。
ふとした騒音の中の静寂の奥行きを繊細に醸し出す刹那を、
僕は今でも大切にしている。
そういう拙い美学や哲学を抱き出したのが、
特にこの「Liberation」をリリースした頃だったからかもしれない。
楽曲中盤のカッティングは照井さんのアイディアだ。
All Done
日訳で「全てが終わった」
まさに当時の躁鬱による虚無さがこの曲に表れている。
そんな躁鬱の刹那を奏でただけの単調な曲が、
前作収録「Dear Vain」に次ぐdrowsinessの
ライブアンセムになってしまった。
「All Done」は元々デモトラックとしての土台はあったのだが、
当時導入したBOSSのSL-20を用いて、
従来の音色に囚われない形を模索した結果だった。
しかし、ギターらしさを残した上で、
ポリリズム、エモーショナルさも兼ね揃えた
当時の音色のいいとこ取りだったと記憶する。
アンビエントのようでテクノでも実験音楽でもなく
、ポップミュージックでもない、
drowsinessの不思議さが練り込まれている。
この曲は1つのコードだけで演奏されているが、
音色だけでどこまで違う曲のように見せられるかの
ストイックさも兼ね揃えている。
ギターテクニックのないdrowsinessの魅力を
いかに最大化できるかに終始徹底していた。
この曲を作り出してから、
映像作品への楽曲提供の機会や
BGMの制作の相談が来るようになる。
いい意味でも悪い意味でも無味無臭で多くの人々の感情を
委ねやすい余白を持つ「All Done」は、
drowsinessの新たな魅力を生み出す結果となった。
その流れでdrowsinessとファッションの結びつきも
強くなり始めた。
そんななかで所謂芸能人や著名人の方々からの
リアクションを感じることも増え始めたのだが、
ドラマで主演も務めるある俳優さんは、
共通の知人を通して、「All Done」を
某有名雑誌のオンライン版の連載企画で使いたいと
興味を示して下さった。
その話は結果的にお蔵入りしたのだが、
幼少期にブラウン管越しに見ていた
ドラマの主演の方がdrowsinessを好むなんて、
変な世の中だなとつくつぐ感じた。
この曲を好んで下さることがいるのは非常に嬉しいし、
恥ずかしみもなく自分も素直に好きと言える曲である。
この曲も時々で音色がすごく変わるのだが、
その時々の想いがいつも非常に乗っていると感じる。
Someday at This Place
日訳で「いつかこの場所で」
この場所はスズカケイトくんと話してい
た互いの近所の公園を指しており、
気付けば、もうあの公園で話すことも無くなってしまった。
その頃抱いていた色々な思いがこの楽曲に含まれている。
かつ、もうこの作品が終わることを
暗示させるような雰囲気を灯した。
「All Done」の後の楽曲ということで、
リズムパターンも合わせていて、
ギターの音色も少し寄せているところがある。
ライブではもっと爆発力のある作品にも仕上がっているのだが、この曲を好きと言って下さる方が時折いるのが素直に嬉しい。
「Liberation」の楽曲はライブ感のある作品が多く、
勿論アレンジやダイナミクスにより、
より一層ライブ映えするため、
今後も演奏していく機会が増えていきそうだ。
楽曲のイメージとして、当時ハマっていた
スタンディングデスクでの爆音BGMの影響が強く、
特にUnderworldと向精神剤の相性がとても良く、
朝まで起きていたことで実質クラブ体験に近い何かを経て
生まれた曲なのかもしれない。