「Kaleidoscopics by Lotus」
日々移りゆく景色へ悲観しながらも、
比較的心地良く時間へゆったりと
添い遂げている。
自宅で緩やかに過ごす滑らかな時間が
冬の駆け足な天窓の
色の推移をより楽しませる。
ここ最近ストーリーの更新を
途絶えさせてしまっている。
正直に言えば、胸が非常に重い状況で
何を取り組んでも前向きに考えられない。
仕事を放棄することはないのだが、
もう誰にも寄り添って貰いたくも、
話しかけて貰いたくもなく、
この状況で東京に住を構え
居なかったことが幸いした。
東京を否定している理由ではない。
僕には東京が向いていないのだ。
これだけは書かせてほしい。
僕をメンヘラと言って笑うのは非常に浅はかだ。
ネットミームで全てを悟ったように形容するな。
森を見ずに木を見ただけで自然そのものを語るな。
年齢関係無しに、
ただただ失礼でしかない。
笑われるために、
こういう成を装っているのではない。
単純に誰よりも光を考えているだけ。
もう全ての事象が尊すぎるだけで、
最近は暗い部屋でキャンドルの灯を
見つめるのが音楽だと思っている。
今多かれ少なかれ、
こういう立場をやらせてもらっている人間で、
こんなBlogを書き続けていることは
或る種奇跡であるし、
僕が墓場まで持ち込まねばならない全ても含めて、
一つのエンターテイメントの
顛末を晒しているだけなのだ。
そして、僕のエンターテイメントを
全て幸とはしない。
哀れな人間の顛末を
見届けて頂くための
コンテンツが音楽であり、
この文字でもある。
酷く哀れで儚い人間だと思って貰えば、
それが何よりの僕への敬意である。
そもそも褒められた生き方ではないのだ。
表層的なモノも含め、
根底を置き去りにした美化という
印象着色が陳腐過ぎる。
そんなdrowsinessは
今と来年を振り返る時期となる。
皆さまによっての今年は
どうだっただろうか。
そして、来年はどうなるだろうか。
淋しき私的な振り返りに寄り添って下さるのは
心強く有難い限りだ。
好みの飲み物と音楽を片手に、
楽しんで頂ければと思う。
貴方は何を今年に重ねるのだろうか。
今年は非常に良き年となった。
テレビやステージの向こう側の方々に
触れることが日常になり、
年々彩りを増す活動、
そして考えなければいけないことが増える。
いい意味で、drowsinessという活動へ
日々責任が増し帯びている。
drowsinessという「チーム」が
日々新たな形を描く。
僕にとって、チームが第一である。
チームが無くなったら、音楽を辞めることを
考えなくてはならないくらいだ。
自分の今の立場も鮮明に判った結果、
来年の動きにも繋がっている。
来年からの活動を、僕が一番楽しみにしている。
実は想定していなかった方方からの連絡が増え、
今まで以上にライブの目的を
決めなければならなくなった。
まさかこんなに自分が
アーティストだと思わなかった。
自分の運命か偶然に、ただ惑わされている。
そして、
それだけではない運命にも…
今年は最も悲観的に
捉えなければいけない一年だった。
調子に乗っている理由ではないが、
自分の立ち回りが所謂業界人のような
動きや見られ方になっていることに
酷き嫌悪感を感じざるを得ない。
こんなにも無名な僕と関わることを
自慢するような人間も見えてきた。
私的な会話も晒されるのだから、
もうメールは全て誰かに
見られているモノだと思っている。
僕を引き止める人もいた。
申し訳ないが、そういう全員との
人間関係を振り払った。
変な情が入っては、
もうフラットな人間関係では無い。
僕は前に進み、
明確に判る終わりへと突き進むのだ。
頑固だから聞かないのではなく、
頑固だと言う人間がより頑固である前提で、
人の終わりの責任も持てないのに、
余計な貴方の美学を
差し込むなということだ。
こんなことも考えたくない自分も含め、
最も成りたくなかった自分と
立ち回りをせねばならない。
心の底からこんな状況に成りたくなかった。
何より、カオスでネオンドラマティックスを
内包し始めた一年は、
もうこの一定以上
世の中の当たり前を反芻する日々。
義務教育時代に最も地味だった 人間が
素性は変わらずに、
何処迄も闇へ進み続けている。
読者の貴方をこの闇には引きずり込まない。
一部お連れした方々には、
ここでもお詫び申し上げたい。
来年からの活動を数年続けた後に、
僕は色々と考えていることを進めていくだろう。
まずは木陰へ身を委ね、
木漏れ日を介して消えていくしかない。
来年は様々なニュースリリースを控えており、
ついにdrowsinessも
こういう発表をするようになったかと
素直に喜ばしい限りだ。
音楽を辞めていく人々が多い中で、
前へ進むことの恐れ多さは絶えないが、
今とこれからを信じている方々のために
進む以外に選択肢は無い。
ただ来年は制作への比重を置く年となり、
ライブへの出演は過去一精査を
重ねることとなるだろう。
そして、今の当たり前を
捨てなければならないこと。
習慣を捨てる。
往くべき自分に慣るために。
来年の抱負を標すとしよう。
楽しく健やかで夢見心地良く
すみやかな時間が伸びやかであること。
読者の皆様、
僕のInstagramを見る方々の
身の回りだけであっても。
悲観はせずに、
身の回りにある有り触れた日常や
仄かな光と薫に
優しさと多幸感と感謝を
添えてほしいということ。
さて、今日はこれを読んで下さった方へ
僕のフェティッシュを晒すとする。
ご興味ある方は以下こちらからどうぞ。
2024.12.16 Vol.21.5
「My Faverite Things in 2024 (Lifestyle)」